野中章弘×綿井健陽 対談(4)
なぜ自衛隊はイラクに派遣されるのか。
米軍のバグダッド空爆開始から現地で取材を続けたジャーナリストが派兵の論理を撃つ!

《テレビを見て記事を書く》
*綿井 もうひとつ最近の報道で気付いたことがあります。イラクの場合、空爆が続く中でイラク周辺の国で記事を書く記者が多かった。彼らが何をいちばん頼りに記事を書いていたか。それはテレビの映像なんです。いま東京の本社もそうですが、みんないろんなテレビモニターをずっと見ている。CNN,BBC,アルジャジーラ、ほかにもロイター、APの配信映像と、ありとあらゆるテレビモニターが並べられてライブ映像が入ってくる。

「CNNテレビによると...」と、ニュースソースを明らかにした上で記事を書くのならまだましですが、テレビを見て「イラクでこういうことが起きている」と自分で現場を見てきたかのように記事を書く。ある二次情報を、また別の二次情報で埋め合わせすることが多い。現場で確認できないことを、他のテレビやインターネットが伝えていることで補い、それをあたかも自分が現場で確認しているかのように報道する。これこそ実は「情報操作」ではないかと思います。

ぼくが当時のバグダッドの現場で心がけたのは、「テレビモニターに映らないこと」を取材することでした。「何が起きているか」はテレビでその概略はわかっても、「そこで何が起きていないか、テレビモニターに映っていないところはどんな様子なのか」を伝えるのが、現場の記者の仕事だと思うんです。映像というのは何かワァーと喜んだり、涙を流して悲しんだりするのを伝えるのは得意です。

だけど、その場で起きていないことや、普通の表情やとまどいを伝えるのは案外難しい。昨年4月9日のフセイン政権の崩壊の時でも、実際に記者があの場にいて感じたことを書くのと、テレビモニターを見ながら書くのは違います。「映像はありのままを映す」「写真は真を写す」なんていうのはまったくの幻想です。ほんとうは映像ほどウソをつきやすいものはないですし、写真だっていくらでも後から加工できますし、説明を付け足せる。

*野中 4月9日にバグダッドに米軍が入城した。4月10日の新聞を見ると、一面と社会面のトップに「市民歓喜」という表現で「首都住民は米軍を『解放者』として歓迎」している様子が伝えられています。特に読売新聞がそうですが、記事に特派員が陥落の光景を目撃したように書いてある。 ところが、彼らはテレビを見てそれを書いていた。「新聞研究」(日本新聞協会発行)の03年6月号で、読売新聞の山口国際部長は「テレビを虚心に見ていれば、何が起きていたかは明白だった」と書いているが、この発言には2つの意味で問題があると思う。

ひとつは、テレビを見て記事を書くということの危険性。映像はウソをつくことがある。それはメディア・リテラシィの基本ではないか。テレビはフレームの外で起きていることは伝えない。フレームがすべてです。  もうひとつは、あたかも自分が見たかのように書いたこと。これでは歴史の偽造ということになりかねない。たとえば十年後、二十年後に歴史学者が、読売新聞の縮刷版で「米軍がイラクを解放して国民が喜んだ」という記事を見たら、結果的にこの戦争は良かったという感想を持つと思う。日本のメディアは特派員が現地にいなかったことで、そういう役割を果たしてしまった。

*綿井 バグダッドにいても、バグダッドの状況がすべて把握できるわけではありません。アメリカももちろん、イラクの側だって情報操作をしようとしていた。バグダッドの空港や宮殿が制圧されているのに、当時のサハフ情報相は「まだ米軍はバグダッドにいない」というような、誰が見てもウソだと分かる情報も現地では流されていましたね。当時のフセイン政権はメディアの利用の仕方が意外に下手でしたね。 テレビや新聞の記者は、現場で「わからない、確認できない」ということを恥だと思っているようです。
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