「クローブ(丁子)。こうしたスパイスを求めて16世紀にポルトガル船がやってきた」

私が今回の取材中、足しげく通った村がある。アンボン市内から山を越えた、3キロ東に位置するアフル村である。
紛争前、村には746世帯の住民が暮らしていた。イスラム教徒は183世帯、カソリック教徒は152世帯、そして残りの多数派がプロテスタント教徒だった。

そもそもの村の起こりは、1970年代にカソリック教会がこの土地をイスラム教徒の地主から購入し、ジャングルを切り拓いたことに始まる。いくつかの教会関連の施設が建設されている。それ以降も、森が切り拓かれ、宗教の違いに関係なく人びとが入植していった。様々な村びとが地域のなかで混ざりあい、平和に暮らしてきたという。

クリスマスやイスラム教の断食明けの祭りであるイードゥルフィトルの時などには、お互いが異なる宗教の隣人を招待し、ともに祝いあった。また教会やモスクの修復の時には、寄付や人手をだしあうことが通常のこととしておこなわれた。

「アンボン市内で遊ぶ子どもたち」

しかし両者の関係を切り裂く紛争は、突然に始まった。
1999年1月19日、アンボン市内のバス乗り場でおきたイスラム教徒とキリスト教徒のささいな喧嘩が、そもそもの紛争の発端だといわれている。その数時間後には、アンボン市内各所で武装した集団による焼き打ちが発生し、アンボンは騒乱状態になっていった。

こうした暴動の火の手が燃え上がるなか、子どもたちも否応なく争いに巻き込まれていく。私は戦場に身を置いた子どもたち一人ひとりを訪ね、かれらの惨烈を極めた体験に耳を傾けることになる。

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