台湾奥地の村トロックに元日本兵を訪ねる

霧社事件で日本側だった先住民の村を訪ねた。日本人は忘れてしまった村で、しかし彼らは「日本」を忘れていなかった。

トロック村の「チュージ」
日本と当地の先住民が戦った霧社事件で、日本側の味方にさせられた先住民の部族あるいは部落がある。「味方蕃」などと呼ばれていた。そのひとつ、トロックの村に元日本兵を訪ねてみた。
自宅で待っていると、その人はスピードを緩めたバイクから転げるように飛び降りて、まっすぐにわたしのところ走ってきた。
「日本人か」
手を握りながら、これが最初に出た言葉である。
彼は、名前を尋ねる前から戦争の話を始めた。
――第何回?
「第六回」
第六回高砂義勇隊だったという意味である。
「背が低かったけど合格したんだなあ。兄貴は第三回で、船が沈没して帰ってこなかった」
――試験を受けるんですか。
「試験を受けますよ。村から六人志願して一人だけ」
まるで義勇隊に合格したときの喜びが、昨日のことのように満面に笑みが浮かぶ。大正14年生まれ、ペンガン・パーワン、日本名を山本忠次だという。
――国定忠治と同じですね。
「そうですよ。隊長が、チュージ! て呼ぶ。誰も山本なんて言わない。チュージ来い! ですから」
ソロモンの基地で本部の隊長付きの兵士だったという。「チュージ!」と愛され、こき使われていた様子が髣髴としてくるような人柄である。
フィリピン、ラバウル経由でソロモンに行った。
「暑かったね。フィリピンについたときは。みんな病気になって。マラリア、赤痢・・・」
彼らにとってジャングルはとても住みにくい所だったはずだ。この霧社は夏でも涼しく、冬には峰は雪化粧する。
「苦しかったのは斥候ですね。裸足で行く。双眼鏡で見たものを無線で知らせるんです」
「食べるものがないでしょう。水もない。喉が渇くと、トウ(籐)の芯をとってポタポタ落ちる滴を集めるんです」
「あるとき、土人に魚捕りに誘われた。そしたら、待っているのは魚じゃない。武器持った土人が待ってるんです。わたしらのクビとろって」
――向こうの原住民と戦うんですか。
「ええ、最初は、日本の味方だった。それが、アメリカから金もらってわしらのクビを集めるようになった。山道に髪の毛を使った罠をしかけてあるんです。それに触れると爆弾が爆発する。それで、わたしの前を歩いていた隊長の足が吹っ飛んだこともあった」

忘れられた人びと
ペンガン・パーワンは、霧社事件については、ただ、遠くで鉄砲の音が聞こえて、山に隠れた記憶があるばかりである。
――いままで戦争の話を聞きに来た日本人がいますか。
「いや、あなたが初めてです」
――日本に言いたいことあるでしょ。
「なにもないですよ。ただ、会いたいのよ。日本語が話したいのよ」
ペンガン・パーワンは今でも「日本語」の夢を見るという。隊長と話している言葉だったり、爆撃を受けて発した悲鳴だったりする。
「思い出の夢もあるでしょ。作戦の夢もある」
――戦友との連絡は?
「全然ありません」
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