タカム村からダルバン村へ戻る途中で、フランス人トレッカーが武装マオイストの少年と記念写真を撮っていた。

ベニ襲撃計画

◆直前に襲撃の決行を二日早める
私たちはタカム村での二日目の朝、村のはずれにある家の家畜小屋の二階でプラビンに会った。彼は人民解放軍西師団本部からの指示に従って、襲撃のひと月前から準備を始めたことを明らかにした。

いったい何人のマオイストが襲撃に参加したのかという質問に対しては、バビヤチョールで会ったマオイストと同じ答えを返してきた。「3800人の武装マオイストと、2200人の非武装マオイストおよび"ボランティア"を合わせた6000人」というのである。

どうやら、これが表向きの数字らしい。しかし、やはり襲撃に参加した人民解放軍第三大隊指揮官の"アビナース"は、5月にグルミ郡で開かれた集会で「3600人の武装マオイストと6000人の"ボランティア"の計9600人」が襲撃に参加したと話している。いずれにしても、3500人を超える武装マオイストが参加したということになる。

マオイストは以前から大規模襲撃の際に、負傷者や強奪した武器などを運搬するために、一般の村人を強制的に襲撃に連れて行くことが知られている。こうした村人をマオイストは"ボランティア"と呼ぶのである。

なかには西ネパールで拘束され、10日以上歩いてベニに連れてこられた村人もいる。最初にベニを訪れたとき、襲撃の12日前にマオイストに誘拐され、"ボランティア"として無理やり参加させられた村人13人に会うことができた。

全員がミャグディ郡チムコラ村に住むマガル族で、2人は学校教師、3人は女性だった。彼らの証言によると、ボランティアの多くは彼らと同じマガル族かダリット(アウト・カースト)だったという。彼らは襲撃の直前まで拘束された理由を告げられず、「大きなプログラムが終わるまで家には戻るな」と脅されていた。
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