かつて戦闘で命を失った兵士を見たサルウィン河をふたたび、ボートで北進する。満天の星空のもと、月明かりと静寂に包まれた船上では...。

初めてのマナプロウ行きから8年半後の2000年12月、1993年と同じサルウィン河の、ほぼ同じ地域をさかのぼる。当時は激しい雨の中のボート移動だった。しかし今回は、薄暗い闇の中を、ボートを走らせることになった。(写真右:サルウィン河をさかのぼるカレン軍兵士たち(93年))

カレンの取材を始めてこのかた、遠目にビルマ軍の兵士の姿は何度か見かけたことはある。だが、実際にカレン軍とビルマ軍の戦闘に巻き込まれたことはない。戦闘は暗闇のゲリラ戦が多いため、事実上撮影は不可能だ。また、実際に戦闘で命を失った兵士を見たのは93年が最初で最後だった。

それは、今回と同じように、サルウィン河をさかのぼって、KNLA20大隊の展開する前線に向かっていたときだ。雨季特有の猛烈な雨で目の前が見えなくなっていた。ボートの中には、タイ側で買い付けをし終えたビルマカレンの村人で満員だった。ボートの喫水線はとうに超え、船の中に水がジャバジャバ入ってきた。船の中央部に腰をおろす。目の高さに水面があった。
その時、目の前を、布に包まれた黒い物体がゆっくりと流れていった。隣にいた当時の案内役ケビーが言った。
「殺され、捨てられたビルマ兵士だ」

(写真右:ビルマ軍の迫害から逃れ、山の中に隠れ住むカレン人一家(2003年))
2000年12月25日のカレンの新年祭に参加した2日後、約束通りに、次の中継点へ移動する連絡が来た。KNLAの将校ドウイン氏は、タイの情報部員の裏をかいて、私を秘密のボート乗り場へと連れて行った。

午後5時半過ぎ、迎えのボートが来る。カレン兵士22名を乗せたボートは、タイの国旗を舳先につけ、サルウィン河を北へと進路を取る。30分もすると太陽が傾き、あたりは急激に暗くなってきた。正面に明るい星が現れた。

しかし、星に見入っている余裕はない。星と月明かりの光だけで、鉛色をした河の水面を、ボートは右に左に揺れながら疾走する。水しぶきがかかる。兵士たちは毛布を前にかぶり、飛沫を除ける。昼間の暑さが嘘のように急に寒さが襲ってくる。さらに30分ほど経過した。

隣りに座っていたカレン人のシュラセー(26)が流ちょうな英語で、「あそこはビルマ兵士のいるところだ。時々撃ってくるんだ」と左側を指差した。そこは、かつてカレン軍の兵站基地であったティムタだった。私も以前、何度か立ち寄ったことがある。しかし、こんなところで狙い撃ちされたら一巻の終わりだ。右岸に目をやり、タイ領へと泳ぎ渡ることができるか、目測する。しかし、そんな緊張感も忘れるくらいに、風の音、水の音、エンジンの音が心地よく耳に響く。

星と月のかすかな明るさでも、ボートは右に左に、水面から突き出た岩を避けて、走り続ける。地形を身体で覚えている舵手の櫂さばきは軽やかだ。いつの間にか降るような星空になっていた。急に心が穏やかになった。まばたきをするたびに星が姿を増していく。いつのまにか満天の星である。
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