敵対関係の当事者らが同じ食堂で食事する風景と、公安関係者からの執拗な詰問が同居する国、ビルマ。軍事政権国家の姿は、観光客には見えにくい。

u050502_01(写真:首都ラングーンでの建設現場。よく観察してみると、やはり汗水流す子どもたちの姿を見かけることができる。)
タイ側に戻り、サルウィン河岸に建つタイ軍の警備小屋に行ってみた。国境警備の兵士が一人、のんびりとハンモックに寝っ転がっている。
「おう、ニップン(日本人)か。パスポートを見せろ」
彼はぶっきらぼうに、しかし親しみを込めて言ってきた。私は素直にパスポートを差し出す。

「何しにきたんだ。ここは危ないぞ、向こうのビルマ兵はいつ攻めてくるかもしれないからなあ」
彼は笑いながら対岸に顔を向け、銃を構える格好をする。その彼と英語で半時間ほど、世間話をする。日本の話になるといつも、車や電化製品の性能の良さ、そのことが真っ先に話題にのぼる。話しに広がりがない。彼の話に半分耳を傾け、穏やかな国境風景を眺めていたら、退屈してきた。そのときだった。対岸からボートが1艘がやってきた。

「ほら来た、ビルマ兵だ」
Tシャツにジーパン姿の若い男たちが10人ほど、ボートから下りてくる。
「ビルマ兵がタイ側に渡って来てもいいのか。あんたら、何もしないのか」
「いいんだ、私服を着て来て、買い物をして帰るだけなら別にいいんだ」
何か釈然としなかった。

というより、そう感じざるを得ない第3者的な自分の思考の狭さにイライラし始めていた。
ビルマ側から無事戻り、徐々に緊張感が薄れていくと急激に空腹を感じ始めた。腹ごしらえをしようと、近くの食堂に入ってみる。すると、先ほどビルマ側から渡ってきた私服のビルマ兵が何人かいる。この食堂は、KNUの息のかかったカレン人も出入りしているはず。タイ・ビルマ国境の小さな食堂の中に、紛争の当事者であるビルマ人、タイ人、カレン人が、微妙な緊張のもとご飯を食べている。しかし、何ら問題は起きないようだ。
いったい全体彼らの紛争の原因は何なのか、理解を超える現実を前にして、私もまた、カオパッド(タイチャーハン)を口にするしかない。

ビルマ取材は、タイ国境の取材ばかりでない。これまで3度、首都ラングーンに入り、ビルマ各地を訪れた。しかし、行動するにはかなりの限界を感じさせられた。

ラングーン中央駅近くのスラム街へ入り込み、ぶらぶらとしながら撮影をしていた。すると、私の背後から1人の男が現れ、「ここは外国人のはいる地区ではない」と追い出されたこともある。

あるいは、高架橋の建設現場で働く子どもたちの姿を撮影していたときのことだった。「出ていけ、写真撮影をやめろ!」
現場監督からどやしつけられたこともある。ビルマ国内で、ビルマの人に怒鳴られた経験はそれが初めてであった。「外国人に対しては穏和なビルマ人」というイメージが粉砕された。建設現場を後にしても、2人の若い男がずっと私の後をついてきた。明らかに公安関係者だった。

またある時、カレン人が多く住むデルタ地方に船で行ってみた。船着き場に着くやいなや、有無を言わさず役所に連れて行かれた。詰問調で、その土地にやってきた目的・滞在ホテル名・予定行動・滞在期間・帰りの日付予定を聞かれ、書類に記入させられた。

もちろんビルマ語が話せない私は、訪れた土地の人に詳しい話を聞けるわけではない。たまに英語や日本語を話すビルマ人に出会うが、政治的な話はもちろんできない。どこで誰が話を聞いているのか分からないからだ。外国人と話をした接触したというだけで投獄の恐れがあるところなのだ。

ビルマの東、タイ国境が近いTという町を訪れた。タクシーを降りると、公安関係者につけられていることにすぐに気づいた。パスポートをチェックされ、ビザの番号を控えられ、その町への訪問目的を訊ねられることになった。Tという大きな町は、外国人の立ち入りは認められているが、観光客が1人で訪れるには、不自然な場所だったからだろう。 「軍事政権が力で国民を押さえつけている」

民主化を求めるビルマの人びとがそう訴えても、観光客として観光地のみを訪れる人にはその本当の姿は見えない。ビルマには2000年、およそ235、000人の観光客が訪れた。しかし、そのうち何人の人が、観光客にはなかなか見ることの出来ない軍事政権国家ビルマの姿を把握できたのだろうか。笑顔で接してくれるビルマの人の表の姿だけを受け取り、その好印象だけで旅を終える。

「メディアの報道するビルマは大げさすぎる。(軍政の悪いところは)何もないじゃないか」
そういう反応が今も続く。

写真: サルウィン河の支流であるモエ川も ビルマ・タイの国境線となる。一見静かな風 景の中に50年以上の戦闘の記憶を刻む。

写真: サルウィン河の支流であるモエ川も
ビルマ・タイの国境線となる。一見静かな風
景の中に50年以上の戦闘の記憶を刻む。

写真: ビルマ軍の動向に注意しながら最 前線を行くカレン軍兵士たち。歩きやすい 道はほぼ全てビルマ軍に押さえられてい るので、厳しい行軍となる。

写真: ビルマ軍の動向に注意しながら最
前線を行くカレン軍兵士たち。歩きやすい
道はほぼ全てビルマ軍に押さえられてい
るので、厳しい行軍となる。

写真: ビルマ軍の物資を運ぶカレン人の 村人たち。ビルマ軍政による強制労働は ILOや国際社会から厳しい非難を受けて いる。

写真: ビルマ軍の物資を運ぶカレン人の
村人たち。ビルマ軍政による強制労働は
ILOや国際社会から厳しい非難を受けて
いる。

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