事務所もほとんどの年が赤字に
この10年間を振り返ってみた場合、ニュース取材できちんと番組制作費が回収できた例はほんの数えるほどである。
収支の面から見た場合、03年のイラク戦争は例外的な出来事だった。何人ものフリーランスが開戦前からフセイン政権崩壊まで取材を続け、連日、テレビ、ラジオに向けて現地リポートを送った。短期間といえども、全体としてそれなりの報酬を確保した。テレビの立ちリポートの料金は、通常1回10万円~30万円程度。開戦時や政権崩壊の瞬間はもっとも高い報酬が設定された。

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ノートパソコンと衛星通信モデム・インマルサットがあれば、大型の中継車両がなくても、どこからでも記事や写真の伝送が可能となった。(アフガニスタン・2001年)

ただ、高額の報酬は戦争のクライマックスの期間だけであり、危険なイラク取材に毎年出かけるフリーランスでも、年間所得の平均は、東京で働くテレビ局の同年齢の社員の年収よりはるかに低いと断言できる。「イラク戦争で儲けたフリーランス」などと言う人もいたが、それは事実と違う。
 
また、9・11同時多発テロの報復戦争となったアフガン攻撃では、アジアプレスから延べ9人のメンバーが取材にあたったが、収支面では500万円程度のマイナスとなり、財政基盤の弱いアジアプレスにとってはかなりの痛手となっていた。

赤字の最大の要因は、日本から持参した衛星携帯電話(インマルサット)のレンタル料と高額な通話料金だった。いまはインターネットや携帯電話の普及などで、通信費用はずいぶんと削減できるが、当時はインマルサットを使う以外に現地と直接やりとりをすることはできなかった。

アジアプレスでは、報酬の3割から半分は事務所の運営費として収め、残りを個人の収入としている。その割合はアジアプレスが取材経費を負担した場合と個人の全面負担による取材とで異なり、その都度話し合いで決める。雑誌、新聞などの活字メディアへの原稿料は全額個人の収入となる。

つまりテレビで映像を使う場合のみ、事務所にも一定のカネが落ちる仕組みである。そのカネで家賃などの諸経費や専従スタッフの給料を払っているが、ほとんどの年は赤字である。赤字分は銀行からの融資や個人からの借入金で補てんしている。
(敬称略) (つづく)

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