「ちりとてちん」その5

yanagi_071220_02.jpg【中正紀念堂のゲート。元の姿)】

さる12月7日、封鎖されていた台北の中正紀念堂に重機が入り、「看板」の付け替えがおこなわれた。
正面玄関のゲートにあった「大中至正( 蒋介石の座右の銘? )」に代わって「自由廣場」、本館の「中正紀念堂」に代わって「台湾民主紀念館」の名称が掲げられた。蒋介石の功績を称える記念館の歴史に終止符がようやく打たれたのである。
しかし次期総統の呼び声が高い馬英九国民党候補は、憤りもあらわに、当選したら元に戻してやると宣布している。

台湾の人たちの最大の悲哀は、住民が共通の歴史認識をもてないことである。蒋介石への基本的な評価が定まっていない。
なにしろ、ついこの間まで、この独裁者の巨大な坐像を国軍の兵士が直立不動で護衛しており、その衛兵の交代式は観光名物になったりしていた。

さらには、蒋介石ご本人の遺体のそばにも( 中国へ帰るつもりだったので、まだ埋葬されていない )兵役中の若者を立たせていた。
蒋介石とその実子の蒋経国は、38年間戒厳令をしいて、台湾人をなしくずしに「中国人」にしていった。
1996年にようやく全住民による総統選挙を敢行。台湾出身の元首( 李登輝 )が選ばれ、2000年には台湾生まれの政党が政権を奪取した。

この間、台湾の「台湾化」が各方面から進められてきたのだが、一方では中国への経済的従属が急速に進む。この十年は、「台湾化」と「中国との一体化」とのせめぎ合いの時代だったといえる。
いったい台湾の人たちは自らの存在に、どのような判定を下すのか、これが来月の立法委員選挙であり、三月の総統選挙ということになる。
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