無配給地帯の拡大は、労働者の家庭に多くの一家離散を招いた。養育を放棄された子供たちが、コチェビとなって街を彷徨う光景が瞬く間に広がった。朝鮮ではありえなかったことである。(1998年10月、元山市にてアン・チョル撮影)

無配給地帯の拡大は、労働者の家庭に多くの一家離散を招いた。養育を放棄された子供たちが、コチェビとなって街を彷徨う光景が瞬く間に広がった。朝鮮ではありえなかったことである。(1998年10月、元山市にてアン・チョル撮影)

 

我が国の経済動向 3
経済破綻の政治的きっかけ

石丸:朝鮮の経済はなぜ90年代に破綻したのだろうか?
ケ・ミョンビン:朝鮮経済破綻の原因は、私には「13次」(第13次世界青年学生祭典」(注1)だとしか考えられない。
政治的混乱はひとまずおいて、食糧難あるいは経済危機としての「苦難の行軍」(注2)を考える時、1987年頃からすでに一部地域には「苦難の行軍」は始まっていたと言っても過言ではない。この時には既に咸鏡北道、両江道では、人民の半分に対しての配給が止まってしまった。その後の経済破綻の兆しは、この「13次」の準備期間から現れ始めていたのだ。

この「13次」の平壌誘致は、経済的には絶対に無理なものだったが、南北対決上、政治行事として必要だとされた。冷戦構造が溶解し、東西の和解協力が進展しようとしているのに、それに逆行しようというのは、一小国では到底できるはずのない冒険だった。
それなのに、この行事の準備は、社労青(社会主義労働青年同盟、現在は金日成社会主義青年同盟)を、労働党中央が背後から操りながら、国家の計画経済を破壊してまで強行された。

その結果、朝鮮東北部の咸鏡北道や両江道で食糧配給が止まってしまう事態が、無責任にも黙認されるようになっていったのだ。
この「無配給地帯」は、その後縮小するどころか、その「領域」は時間が経過するにしたがって拡大南下し、ついに1991年、平壌にまで拡がっていった。配給がないということは、全国の労働者たちに、労働の報酬(食糧と賃金)が支払われず、国家が人民に大きな「借り」を作ったことを意味する。角度を変えて見れば、社会主義国家の経済倫理の完全な堕落を意味する。

(社会主義を標榜する国家が)守るべき最高レベルの倫理を逸脱してしまったため、党、行政、司法官僚による、あらゆる分野における不正腐敗がとめどなく進むことになった。
例えば、電力周波数が許容値以下に落ちても、鉄道運行の到着遅れの現象が慢性化しても、「直すことができない現象」「対策の立てられない現象」とされて、責任幹部の首が切られることもなくなった。

甚だしきは、共和国創建以来初めて、入隊した人民軍軍人たちの中に「養失(栄養失調者)」が発生し始めたのだった。すると軍需品保障に対する軍部の強い反発がおこり、軍総参謀部に経済活動への直接的参加を誘発させた。

このように党と勤労団体、軍部などの特権機関が、非経済機関であるにもかかわらず、経済分野に進出していく現象がタガを外れて進んだ結果、計画経済の実体は、中身の空っぽな制度に転落した。計画委員会と資材供給委員会、建設委員会、人民奉仕委員会がすべて有名無実化してしまったのだ。(注3)
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