あたかもマグドナルドの隣にKFCとモスバーガーやロッテリアが軒を連ねる商店街みたいである。店の名前は違っても、結局はファースト・フード以外の選択は準備されていない。
事実、現在のテレビでは、ニュースとバラエティを区別すらことすら、意味をなさない。

「報道番組」において、政治家はタレントと化し、タレントは政治家の物言いを真似る。
誰も彼もが全身にケチャップを塗りたくった役者のようである。私の友人にカツ丼にマヨネーズをかける者がいたが、彼に「味覚」を問うても詮もないことである。

また、いつの頃からか、「報道番組」の味付けは、お笑いタレントや「庶民」のふりをした芸人、ブランド品で身を包んだアナウンサーの仕事となったようである。
彼らの発する言葉の多くは、「コメント」未満のたんなる「感想」である。それを「視聴者と同じ目線でニュースを伝えたい」などと言いつくろう。

物事の価値判断、優先順位をつけるという「プロの眼」は脇に追いやられたままである。
ある有名な「報道番組」の某キャスターは、事件を伝えるとき、顔面一杯に「苦渋」の表情を滲ませながら、「(容疑者に対して)ハラワタが煮えくり返る思いです」と叫ぶ。

事件の背景や事実関係もつまびらかでないときから、警察発表を鵜呑みにした「感想」を押し付け、視聴者を思考停止へと追い込む。
「視聴者の側に立つ」という内実は、政府や権力を行使する者への批判力、抵抗力として発揮されねばならないが、そのような意識はまったく希薄である。

畢竟、「臣民化された社会」においてジャーナリズムが呼吸困難に陥るのも不思議はない。
ちなみに「臣民化」を担ってきたテレビのA級戦犯はまぎれもなくNHKである。
余談だが、NHKの番組宣伝で「NHKニュースは24時間眠りません」とアナウンサーが声を張り上げていたのを思い出す。

自民党の政治家たちの前であれほどグッスリと「良心」を眠らせておきながら、「24時間眠りません」とは近年最高のブラック・ジョークだったにちがいない。
テレビは砂糖をまぶした甘いものを次から次へと用意して、「臣民」を誘惑する。
今日はドーナツ、明日はアイスクリーム、明後日はケーキと毎日違った種類のおやつを「臣民」に食べさせる。

いくら好物であっても、人間は甘いものばかり食べていると、身体が壊れるということを体験的に知っている。
だから、時々ほうれん草も食べる。だが、人間は精神(心)が壊れていくことに対しては、往々にして無自覚である。
こうして精神の栄養バランスが崩れ、「思考の筋肉」の弛緩した「臣民」たちが、テレビによって日々大量に生産され続けている。
~続く~ (2008/02/04)

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