咸鏡北道清津駅(2005年5月 リ・ジュン撮影)

咸鏡北道清津駅(2005年5月 リ・ジュン撮影)

 

中国との合弁というのは、鉱業部(鉱業省)が50年の期限で中国に鉱山の開発権を貸与する契約を結んだことを言っているのだ。
私の知るところでも、合弁を進行するにあたっては、いろいろと問題があるにはあるが、とにかく部分操業が開始され、ある程度の復旧を遂げたということだった。

一見、簡単なことのようだが、腐敗した権力が経営権を握る朝鮮では、運営不能に陥った国営企業が自ら再生して生産を再開するというのは、ほとんど不可能なことだ。
無秩序きわまりない経済状況の下で、特に剣徳のような大規模な生産企業では、個人が勝手に入り込んでこっそりと儲けるようなことすらできそうになかった。

結局、腐るだけ腐って膿を出し、散々な目に遭って初めて、剣徳はやっと立ち直りつつあるのである。
企業を再生せよという上部の指示だから仕方がないというというふりをした鉱山の幹部たちが、(政治的には危険な発想である外国を引き入れる)提議書を将軍様に上げることに成功し、そしてなんとか「将軍様の方針」なるお墨付きを得て、ようやく外国の力を借りて運営を再開したのだった。
剣徳の惨めな姿が、まさしく我が国の情けない実情を物語っている。

「三大革命」(思想・技術・文化)により「花咲く労働階級の天国になった」と言われた剣徳鉱山は、昨今の「先軍革命」によって時代が一変した途端、国家の「主力部隊」としてそれまで受けていた厚遇を、軍隊にすっかり取り上げられてしまった。
寄る辺をなくした労働者たちは、あの山この山と、耕すことのできる場所を求めて彷徨い歩き、不法に開墾した畑にすがって生きる農民と化した。剣徳の労働者たちは、国家によってまるで「革命化対象」(注3)へと転落させられたようなものである。

一世帯当たりが持っている庭と、開墾した畑とを合わせて平均一町歩(約1ヘクタール)程度になる。トウモロコシ半トンが採れるほどの広さだ。
こんな有様であるから、労働者たちが生きていくために次々と盗んでいった鉱山の機械設備は、いったいどんな状態にあるのか想像に難くないだろう。
結局、泥沼に陥った剣徳鉱山の経営問題は、外国との合弁によってやっと解決の糸口を見出したのである。
「開放!これしか生きる道はないね」
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