日本の中古自転車は都市住民にとって、商売に欠かせない必需品となったが、それに対する認識は今でも「高級家財」である。(2000年1月 清津市 キム・ホン撮影)

日本の中古自転車は都市住民にとって、商売に欠かせない必需品となったが、それに対する認識は今でも「高級家財」である。(2000年1月 清津市 キム・ホン撮影)

二〇〇六年一一月末、清津(チョンジン)市で自転車ばかりを専門的に強奪する強盗団があちこちで暗躍したため、保安員(警察官)が捜査に入った。
犯人は三人組で、現役の軍人たちだった。
被害者らの話を総合すると、今回の自転車強盗団のやり口には、これまで他の地域で見られていた自転車強盗とは大きな違いがあった。まず、犯行場所を毎回変えていた点が特徴的だった。被害者もほとんどが四五歳以上で、値段の高い自転車に乗っており、暴力に抵抗できない年齢層だった。

この自転車強盗は、綿密な計画の下に行われた知能的な犯罪だったため、捜査はてこずり、犯人不明のまま被害者は増える一方だった。
最初の被害者は、橋の下の道を行こうとして襲われた。
人が走って来る足音が聞こえたのと同時に、背後から自転車の荷台を引っぱられたため振り返ると、軍服を着た数人の男が飛びかかってきて殴り倒されてしまったという。気がついた時には軍人たちはおらず、自転車もなかった。

それから数週間後、近くの保安署に通報してきた別の被害者は、また違ったやり方で自転車を強奪された。
彼は新しく買ったばかりの自転車を押しながら清津市内に入る急な坂道を上っていた。その時、前から歩いて来ていた三人の軍人のうち一人が近付いて来て、
「この自転車、どこかで見たことがあるんですが、ちょっと止まってください」
と言った。他の軍人たちも自転車の周りに集まって来て、車体やチェーンやペダルなど、あちこちを触っていた。

すると突然、被害者は急所を蹴られて気を失い、気がついた時には自転車はなかった、と証言したという。
さらにそのひと月後には、市内の土手の下でいい身なりをした人の遺体が発見された。財布の三千ウォン以上の金がそのままだったのに自転車だけが消えていたところから、自転車強奪団による犯行と推定された。

このような事件の通報が一〇件以上にのぼり、被害者たちの供述と犯人の人物像を総合した結果、この数カ月間に起きた自転車強奪事件は同一犯によるものの可能性が高いという結論に達した。
容疑者がある程度絞り込まれると、保安員たちは市内で、住民たちが保有しているカメラの調査に入った。
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