後にInmediaを立ち上げる二人の創設者、林藹雲と葉蔭聴の両氏は、香港中文大学でジャーナリズムを専攻する左派学生だったとき、天安門事件に遭遇する。二人は天安門の学生たちをサポートすべく、香港で募金活動などを行い、武力鎮圧に抗議する100万人デモを経験する。

二人が独立系メディアの力と役割に着目したのは、それから10年後、WTOのシアトル閣僚会議でのことだった。反グローバリズムの旗のもと、シアトルに集まった数万人もの市民運動家たちの活動を、彼らの視点で伝え、サポートしたのは、主にヨーロッパの独立系(indy)メディアだった。

2004年に創設されたInmediaは、その翌年の暮れ、香港で開催されたWTO閣僚会議で、市民運動家らの動きを克明に伝え、逮捕された韓国人デモ隊の支援活動を行なうなどし、その認知度を上げた。その活動は、2006年の天星碼頭(スターフェリー・ピア)、そして2007年の皇后碼頭(クイーンズ・ピア)の取り壊し阻止運動につながってゆく。

天星碼頭は1957年に開業し、皇后碼頭は1925年に開業した後、1954年に再建された。いずれの埠頭も、再開発のための埋め立てに伴い、取り壊しが決まったが、歴史的建造物の保存、また、市民の公共スペースを守るという視点から、激しい抗議デモが起った。

これまで香港では、度重なる埋め立てにより、海に面した公園などが取壊されてきた。、天星碼頭のシンボルである時計塔の前にも、市民憩いの公園があった。
區佩芬さんは、自分たちの歴史と風土を守ろうとする若い世代の「ニュー・ムーブメント」が、ここ数年、盛り上がっていると指摘する。

「私たちの親の世代は、戦争や飢饉などに翻弄され、生きること、そして出来るだけ豊かになることに必死でした。植民地という暫定的な土地柄から、自分の住む土地への意識も希薄でした。二つの埠頭の埋め立ても、そこにビルを建てればさらに儲かるだろうと当然のように考えます。だから香港には歴史的な建造物がほとんど残っていないんです。でも、私たちの世代は考え方が違います」
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