《ムーサヴィー》
「領海侵犯したイギリス兵については、最初、処刑されるべきだと表明し、海外から大きな反発を呼ぶと、今度は、彼ら一人一人にスーツを仕立ててやり、全国民の代表である大統領が、まるで海外の要人に接するかのように、空港で彼らをお見送りした。これでイラン国民の名誉は保たれたのか?そんなはずがない。我々の名誉を傷つけ、我々の外交政策を困難なものに貶めた。

ホロコースト発言どうか?、あまりに大きな代償と損害をはらんだものだった。パレスチナ問題はどうか。ダーバンでの国連人種差別撤廃会議のとき、ヨーロッパ諸国はガザでの殺戮を理由にせっかくイスラエルとの関係を悪化させていたのに、あなたのスタンドプレーは結果としてイスラエルを利する結果となった。第9期政権は、空想的で、不安定、茶番劇、スローガンばかりで、迷信的である。

この4年間、アメリカやフランスやイスラエルが崩壊しつつあるという言葉を何度もあなたの口から聞いた。我々は空想にふけっていてはいけない。明らかに道を見失わせるこうした外交政策を、我々は変えなければならない。
こうしたあなたの政策は国民の日々の生活に影響し、イラン国民のパスポートは無価値になった。政府はこうしたことの責任を取るべきなのだが、まったく気にも留めておらず、国民は悲嘆に暮れている」。

イラン国民のパスポートが無価値になったのは、この4年間に始まったことではない。このように、アフマディネジャードにしてみれば、過去について何も知らない若者の前で、現在見られるあらゆる欠点や不足をすべて自分の政策に帰せられるのは容認できないことだろう。そういう点からも、アフマディネジャードにとって、ムーサヴィーの面前で過去の3政権を批判することは必然であったし、ムーサヴィーがラフサンジャーニーとハータミー両政権下で政治顧問を務めていたことからも、それは的を得ていた。

《アフマディネジャード》
「ラフサンジャーニー政権時代には49.5パーセントもの対外債務があったが、あなたはそれを恥ずかしいと感じなかったのか?ティール月18日(1999年7月9日)の騒乱で革命体制が脅かされたとき、あなたは懸念しなかったのか?第9期政権のどこが独裁政治なのか。ラフサンジャーニー時代には批判的な新聞はたった一つしかなかった。ハータミー時代には誰も批判する勇気すらなかった。
ラフサンジャーニーとハータミーの時代に大金持ちになった政治家はいっぱいいる。ラフサンジャーニーの息子はその時代に何をした?ナーテグヌーリーは今どんな生活をしている?その息子はどうやって億万長者になった?彼らはどうやって土地や工場の所有者になった?ハータミーの時代、多くの政治家が何百ヘクタールの地主になった。そういう人たちが今あなたを支持している。誰があなたの選挙本部に献金しているかすべて知っていますよ」。

革命の功労者であり、最高指導者に次ぐナンバー2の実力者であるラフサンジャーニー師とその一族の金権体質については、国民の周知の事実であっても、これまで誰もそれを口にする人はいなかった。タブーだったのだ。この討論の翌日、次のようなジョークが携帯電話メール(SMS)でイラン全土を飛び交った。「明日からイランの全ての都市の一つの通りの名が『シャヒード・アフマディネジャード通り』に変わるだろう。byラフサンジャーニーの息子」。(シャヒードは「殉教者」の意。イランには革命や戦争で命を落とした殉教者の名を冠した「シャヒード○○」という名の道が無数にある)。

昨年11月に学歴詐称で罷免に追い込まれたアリー・コルダーン内相について、アフマディネジャードはそれもラフサンジャーニー政権時代の一時期に、偽の学位を乱発する動きが起り、多くの閣僚や責任者らがそうした偽の学位に飛びつき、コルダーンもその一人に過ぎなかったと言った。そして、ラフサンジャーニー時代の責任者らの、誰がそうした偽の学位を受け取っているか、すべて把握しているとし、一枚の書類をカメラの前に示して言った。
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