Cさん。その後韓国入りを果たした。(2006年8月中国延辺朝鮮族自治州にて)

Cさん。その後韓国入りを果たした。(2006年8月中国延辺朝鮮族自治州にて)

 

解説3 悪名高き甑山(ジュンサン)教化所 その正体を探る(上)
石丸次郎

中国で逮捕・送還されてきた脱北難民は、二つの種類に分類されて処理される。ひとつは、韓国行きを目指して脱北したとか、中国でキリスト教会と深い接触があったとか、韓国人と行動を共にしていたなどの理由で、脱北に政治性を問われるケース。

この場合は取り調べの後政治犯として処理され、保衛部(情報機関)管轄の収容施設に送られるため、その後どのような処遇を受けるのか、具体的にはほとんど明らかになっていない。第二に、これが圧倒的に多いのだが、生活苦のために脱北したと判断されるケース。この場合は、社会主義の秩序と風紀を紊乱したとして、保安省(警察)によって処罰される。

〇八年ごろまでは、脱北二回目までの者は、裁判なしの拘留半年未満の労働鍛錬隊送り、三回目以上の者は裁判を経て拘留二年までの「労働鍛錬刑」を受けるのが一般的だった(ただし、〇九年からはさらに厳罰化が進んだとも言われる)。この「労働鍛錬刑」を課すために送り込まれるのが、悪名高い甑山教化所なのである。

編集部ではAさんBさんの証言の他に、甑山教化所に収容されていた二人の証言を得ていた。一人はAさんと同様中国で逮捕され北朝鮮に送還された経験のある女性Cさん。もう一人は、わがキム・ドンチョル記者本人である。二人が甑山教化所で受けた過酷な取り扱いは、前章で紹介したA、Bさんの証言の内容と驚くほど共通点が多かった。

本稿では、Cさんとキム記者の証言を追加して紹介しながら、甑山教化所の[1]成り立ちと仕組み、[2]劣悪な環境と死者発生、[3]搾取と利権、の三点に絞って実態を見ていきたい。

Cさんのプロフィール。〇三年に潜伏生活をしていた中国で逮捕、北朝鮮に送還され、まず労働鍛錬隊に収容された後、甑山に移管されて約一年半拘留生活を送る。〇四年の刑法改定に伴う拘置施設の組織改編の時期に収監されていた。満期出所後再び中国に脱出。石丸次郎とは〇六年にロングインタビューを行った。

キム・ドンチョル記者のプロフィール。〇三年度に「非社会主義行為」をしたとして調査を受け「一一号労働教養所」(甑山教化所の前身)に収容される。インタビューは〇九年秋に行った。
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