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101021ogurag_01第2回 マオイスト(ネパール共産党毛沢東主義派)の本拠地、ロルパ
私がマオイストに興味をもったのは、2001年6月1日に起こったナラヤンヒティ王宮事件の後だった。240年間続いたネパールの王制が終焉するきっかけとなったこの事件で、ビレンドラ国王一家全員を含む10人の王族が亡くなった。

その後、ネパールの政治は誰にも予測がつかないほどの急展開を始めた。
事件の7年後の2008年5月28日に王制は終わり、ネパールは共和制へと移行した。その歴史的な変化のなかで、つねに中核にいたのがマオイストこと、ネパール共産党毛沢東主義派である。

マオイストの取材を始めてまもなく、私の興味の中心は、彼らのベース・エリア(本拠地)であるロルパに向かった。
1996年2月13日に人民戦争を開始した当初から、ロルパ郡はマオイストの武装活動の中心だった。ロルパはマオイスト誕生の地であるとともに、彼らが全国に勢力を拡大する拠点となった土地である。

西ネパールのラプティ県にある5つの郡の一つであるロルパは、いくつかの小さな盆地に猫の額ほどの平地があるほかは、高いところで標高3,000メートルを越える山々で覆われている。

わずかな平地で米や野菜がとれるほかは、山腹を耕した段々畑にトウモロコシや大麦、ヒエ、ジャガイモなどの穀物を栽培して自給自足の生活をする農民が大半を占める。住民の約半分はマガール族と呼ばれる山岳民族が占める。
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