「いいんだよ。イスラムではな、持って行くのは泥棒だが、その場で食べるのはいいんだ」
そう言うと、車のグローブボックスから包丁を取り出し、スイカを真っ二つに割ると、ぐるりと果肉をくりぬき、それを細かく切って一人一人に差し出した。甘みは足りないが、喉が渇いていたのでうまい。

カーゼムさんは再びスイカ畑に踏み込んでゆくと、さらに大ぶりのスイカを二つ持ってきて、車のトランクに積み込んだ。
「カーゼムさん、持って行くのは泥棒だってさっき言ったじゃないですか!」
「もう収穫は終わってるんだ。残しておいても動物に食い荒らされるだけさ」
車はまた走り始めた。

しかし5分もせずにまた停まり、カーゼムさんは車を降りた。今度は道端に羊が一頭、はあはあと苦しそうに荒い息を吐きながら横たわっている。その傍らには羊の持ち主らしい青年が一人。カーゼムさんは青年と値段の交渉を始めた。どうやらその羊を買いたいらしい。

青年の売値10万リアルに対して、カーゼムさんは2万リアルで買おうとしている。
(1万リアルは約100円、10リアル=1トマンです)
何事も売買は交渉で決まるお国柄だが、2万リアルはひどい。喧嘩しているのではないかと思えるほどの激しい応酬の末、青年は4万まで値を下げ、カーゼムさんは2万5千で食い下がっている。しかしそれ以上青年は値を下げようとしない。実際、羊肉は、こんな田舎でも肉屋で買えば1キロあたり1万はするのだ。一頭まるごとなら4万でも破格である。

しかし結局、青年が3万に値を下げた。カーゼムさんも3万で手を打ち、3万トマンを青年に渡した。ところが青年はその金を受け取るやいなや、また4万に値を上げた。とうとう本当の喧嘩寸前になり、交渉は決裂した。
カーゼムさんはタバコに火をつけながら、荒っぽく車を出した。

「あの羊、病気か何かですか?」
「稲穂を食べたせいで具合を悪くした羊らしいが、本当の原因なんか腹を割ってみなけりゃ分からない。どんな病気かも分からない羊に4万を出せるかよ。一度3万で手を売ったのに、あの野郎、金見せたら途端に値を吊り上げやがった。いいか、お前も交渉するときは、買値以上の金を見せちゃ駄目だからな」
車は遅れを取り戻すように、最後のシューシュタルに向かって疾走した。

夕方、シューシュタルの町に入ると、さっそく世界遺産「シューシュタルの歴史的水利施設群」に向かってもらった。そこは、サーサーン朝から近代にかけて、カールーン川の巨大な石の河岸を掘りぬき、井戸や粉引き所、水路など様々な用途に用いられてきた複合水利施設で、昨年進呈されたユネスコ世界遺産の承認プレートを恭しくはめ込んだ石版が観光客を迎えている。

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河岸の岩からは、至るところから小さな滝が流れ落ち、水の音と湿った空気が、そこだけを異世界のように包み込んでいた。
遺跡自体はかなり大掛かりなものだが、見学出来る範囲はその半分以下に限られ、残りの区域はまだ整備が終わっていないため立ち入り禁止になっている。

この遺跡のあちこちに無数の穴がぽっかりと開いており、その底には水が轟々と音を立てて流れている。これまでそうした穴に落ちて、ついに発見されなかった観光客の話を聞いたことがあった。限られた見学コースでも、十分に雰囲気を楽しむことが出来た。

薄暗くなりかけたシューシュタルのバスターミナルまで私たちを送り届けると、カーゼムさんは約束の代金を受け取り、笑顔で去っていった。大幅に予定時間をオーバーしたが、今日という日を楽しませてくれた彼に感謝の手を振り、見送った。(おわり)

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