2011年5月27日早朝、北朝鮮の金正日総書記はここ2年で三度目となる訪中を終え、帰国した。時は同じ5月、アジアプレス取材班は中国に取材に訪れていた。国境の川、豆満江を越えてきた北朝鮮国内の取材協力者や、親戚訪問、一時的な脱北などの経緯で中国を訪れた北朝鮮住民にインタビューを行う一方、最新の国境動静をこの目で確認するためだった。ここでは、朝中国境の東西で行われている二つの代表的な「開発の現場」を写真と共に取り上げてみたい。

左が鴨緑江大橋。鉄道と車両が並んで通る仕組みになっている。右の橋は朝鮮戦争のさなかの1950年11月、米軍の爆撃により破壊され、その後使われていない。現在は「鴨緑江断橋」と呼ばれ観光地となっている。2011年5月 アジアプレス取材班撮影 (C)アジアプレス

左が鴨緑江大橋。鉄道と車両が並んで通る仕組みになっている。右の橋は朝鮮戦争のさなかの1950年11月、米軍の爆撃により破壊され、その後使われていない。現在は「鴨緑江断橋」と呼ばれ観光地となっている。2011年5月 アジアプレス取材班撮影 (C)アジアプレス

 

(1)新たな「大動脈」、新鴨緑江大橋の工事始まる
◇完成は2014年予定
鴨緑江は白頭山(中国名:長白山)に端を発し、黄海へと注いでいる。河口には、中国遼寧省の丹東市と、北朝鮮平安北道の新義州(シニジュ)市が向かいあっている。そして、二つの国境都市を結んでいるのが「鴨緑江大橋」だ。日本の植民地時代の1943年に完工した、この長さ約1キロの鉄橋を通じ、現在も朝中間で貿易が行われている。行き来する物資の規模は朝中貿易の七割に及ぶとされており、朝中経済を結ぶ大動脈といえる。

近年、この橋の規模では、拡大し続けるであろう朝中貿易を支えきれないという指摘が主に中国側からされてきた。2007年には武大偉外交部副部長(当時)が北朝鮮を訪れ、正式に新たな橋、つまり「新鴨緑江大橋」を架けることを提案した。だが北朝鮮側は、建設にかかる全ての費用を中国が負担するという破格の内容にも色よい返事をしなかった。これには中国からの急激な情報流入や市場主義経済の浸透による社会統制の弱化を避けたい北朝鮮側の意図が働いたと思われる。
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