プータオまで塩とお茶を買いに行き、急ぎクラウン村に戻ったダウェさん。村に戻った翌日、散歩の途中で偶然に出くわす。写真を撮っていると村の子どもたちに囲まれる。

プータオまで塩とお茶を買いに行き、急ぎクラウン村に戻ったダウェさん。村に戻った翌日、散歩の途中で偶然に出くわす。写真を撮っていると村の子どもたちに囲まれる。

 

※お断り ミャンマー(ビルマ)入国取材の安全を期して、宇田有三氏は「大場玲次」のペーネームを使用していましたが、民主化の進展に伴い危険がなくなりましたので、APN内の記事の署名を「宇田有三」に統一します。

新たな時代の兆し(下)
ヤンゴンの人から見ると、2200kmも離れた辺境で、こうやってチベットの踊りや歌を、VCDを通して覚えていることなど思いもよらないだろう。2005年末にヤンゴンから新しい首都ネピドーに移った軍の高官たちは、まさか山奥に住むチベット人が、川に発電機を据え、VCDを見ながら彼らの独特の文化を継承しているとは想像さえしていないだろう。

ここは最北のタフンダン村。ビルマ軍政の眼が届かない分、それだけ自由さが確保されているのかも知れない。
2007年9月、ヤンゴンでは19年ぶりに大規模な民主化要求デモが起こった。命がけの抗議運動に参加するビルマ人たちは、自らがデジタルカメラやビデオを手に持ってその様子を撮影し、デモの様子を世界に中に発信した。

タストゥー村から北に目をやると、山と山の間に、真っ白な雪を頂いたダンディー山を垣間見る。

タストゥー村から北に目をやると、山と山の間に、真っ白な雪を頂いたダンディー山を垣間見る。

小さく便利になったデジタル機器だからこそ可能だった画期的な発信方法だった。軍事政権がいくら情報統制をしようとも、情報の流れを止めるのは、もう不可能となった。これはデジタル革命のもたらした恩恵だといわれている。

ビルマ最北の村タフンダン村。手前の家は最北の家。

ビルマ最北の村タフンダン村。手前の家は最北の家。

 

これとは全く違ったデジタル革命が、人知れずビルマ最北の地でも進んでいるのだ。おそらくはいつの日か、タフンダンに住むチベットの人たちが衛星放送などを使い、ヤンゴンを経由しないで、自分たちのメッセージを世界に発信する時が来るかも知れない。

ヤンゴンでも山奥でも、時代はすこしずつ変わり始めているようだ。現地の人びとが私のような外部の者が介在することなしに、自分たちのありのままの生活を記録したり、その声を世界に発信をする時代がだ 。
おわり
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