縮小後の平壌(2010年)。 平壌市から分離された人口は、約一割にあたる32万人に及ぶという(注1)。

縮小後の平壌(2010年)。
平壌市から分離された人口は、約一割にあたる32万人に及ぶという(注1)。

 

「そういえば、平壌市が縮小されたそうですよ」。
二〇一〇年三月、中国某所で行われた編集会議の席で、キム・ドンチョル記者が唐突に切り出した。キム記者によると、二月の中旬頃、これまで平壌市に属していた祥原(サンウォン)郡、中和(チュンファ)郡、江南(カンナム)郡、そして勝湖(スンホ)区域の四地域が、突然平壌市から切り離され黄海北道に編入されたのだという。キム記者はその当該地域に住む人から、直に聞いたとのことだった。

「編入の予定は、当該地域に住む人たちに直接的にお達しがあったそうです。全国に公開して知らせたという話はまだ出ていませんが」。
確かに同時期の北朝鮮官営メディアには、そのような記述は全く見当たらない。非公開で行政区域を大がかりに変更した理由は何だろうか?
「政府の目的は平壌市の世帯数を減らすことでしょう。平壌から切り離された直後から、その地域には電気が来なくなったというのです」。
こうキム記者は述べた。つまり、「人減らし」をして政府の負担を軽減させるためだろうというわけだ。首都平壌を縮小しなければならないほど、北朝鮮の財政事情は悪いということなのだろう。

平壌市民はこれまで「革命の首都」に住む者として特別扱いを受けてきた。最近では途切れ途切れになってはいたものの、食糧の配給は続いていたし、電気事情にしても、まったく供給されない日すらある他の地方都市とは比べ物にならないくらい優遇されてきた。金正日総書記の誕生日など、国家の祝日には平壌には優先的に特別配給も出る。今回の措置はそれらの「特権」をすべて失うことを意味していた。当局からすれば、ただでさえ不足がちな食糧や物資、電力供給の「負担」を減らすことができるのである。

「切り離される地区はどこも平壌の外れにあるとはいえ、住民たちは皆、平壌市民としてのプライドと優越意識を持って暮らして来ました。平壌市民には特別な平壌市民証が発行されるので、首都の中心部であろうがどこにでも自由に行けます。商売で金を貯めた地方の人間が、たくさんの賄賂を使ってまで、なんとか平壌に住もうとするくらいです」。
それほど北朝鮮国民は平壌に住みたがるのだ。それにしても今回の措置によって平壌を追い出されることになった人たちは、さぞかしがっかりしたことだろう。キム記者はさらにこう続けた。
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