◆がらんどうの内部、残っているのは骨組みだけ
故金正日総書記の死去から100日余りが経った3月末、鴨緑江下流の朝中国境地帯で目にした廃墟のような北朝鮮の工場は、北朝鮮経済が抱えている困難な現実を如実に表していた。

鴨緑江から見た「青水化学工場」。稼動していない様子は明らかだ。日本の植民地時代に建設された。この工場で培われた技術により、咸鏡南道咸興(ハムン)市の「2.8ビナロン工場」が建設された。2012年3月 南正学(ナム・ジョンハク)撮影(アジアプレス)

鴨緑江から見た「青水化学工場」。稼動していない様子は明らかだ。日本の植民地時代に建設された。この工場で培われた技術により、咸鏡南道咸興(ハムン)市の「2.8ビナロン工場」が建設された。2012年3月 南正学(ナム・ジョンハク)撮影(アジアプレス)

 

平安北道朔州(サクジュ)郡に位置する「青水化学工場」。規模は大きかったものの、その外観はぼろぼろだった。がらんどうで、骨組みだけがやっと残っている建物が多く、稼動している様子は全く見受けられなかった。

資材や燃料の不足、電力難など様々な要因のうち、何がこの工場を廃墟にしてしまったのか定かではない。ただ、90年代の中盤から終わりにかけて多くの餓死者を出した「苦難の行軍」の時期、食糧配給の途絶に直面した住民が、稼動の止まった工場の設備を中国に横流しすることで命をつないだという話は北朝鮮の各地で枚挙に暇がない。
過去、北朝鮮経済を牽引したであろう大規模な工場が、今では経済難の象徴となってしまったのだ。このような廃工場は、各地にあるものと推測される。

数十人の住民達が、工場周辺で工事をしている。シャベル以外にこれといった機材や装備は見当たらず、作業がはかどっているようには見えなかった。

数十人の住民達が、工場周辺で工事をしている。シャベル以外にこれといった機材や装備は見当たらず、作業がはかどっているようには見えなかった。

 

工場周辺では、住民たちが塀を作っているかのような工事を行っていた。だが、よく見ると機材も無く、素手で作業を行っていた。工場の復旧は遥か遠いように思えた。
(ナム・ジョンハク)