北朝鮮に帰国した兄が奇跡的に日本にやってきた。兄滞在中のドラマを描いた映画「かぞくのくに」のヤン監督へのロングインタビュー第二弾。なぜ三人の兄は、北朝鮮に渡ったのか。(聞き手 石丸次郎/アジアプレス)

◆サイキンキコクシャ
石丸:今日本に200人ちょっとの脱北者がいます。皆、元在日の帰国者と北朝鮮生まれのその子どもたちです。韓国にも大体200人くらいの帰国者が脱北して入っているんです。
ヤン:その人たちも元在日ということですよね。北に行って脱北して韓国にいる人。

石丸:僕はその「脱北帰国者」に50人ぐらい会っています。その中には70年代に北朝鮮に渡って、後に脱北して来た人たちもいます。そのうちの一人で、東京朝鮮高校の出身で70年代半ばに一家で帰った人がいる。彼女は北朝鮮に着いた後、60年代に先に渡っていた帰国者から、「何で今頃帰国して来たの?朝鮮がどんな所か、まだわかってなかったの?」と言われたというんです。
ヤン:私らはしょうがないけど、70年代に帰国するなんてあんたらはアホやみたいな感じですよね。

石丸:彼女に言わせると、70年代の帰国者は、60年代に先に帰国した人たちから「サイキンキコクシャ=最近帰国者」と呼ばれたそうです。
ヤン:あぁ、ニューカマーのニューカマーだ。

石丸:そう。ヤンさんのお兄さんたちのように71、72年の帰国者も「サイキンキコクシャ」なわけですよ。流れからいうと、62年ぐらいまでが熱気の中で帰った。
ヤン:中断しますよね、帰国事業が。

石丸:はい。68年から70年まで中断してます。
ヤン:その中断した時に、総連の決まり文句というか、「祖国へ帰る権利を取り戻そう!」となるじゃないですか。

石丸:帰国希望者が激減したので日本政府が事業を延長しなかった。ところが、それに総連が反発して運動を展開し、再開されることになったわけです。
ヤン:あれで帰国事業が終わっていればよかった。少なくとも兄たちは行っていなかったですね。
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