「同和問題は遠ざけておきたい、というスタンスをメディアはとってきた。ところが同和利権の事件のようなことが起きると、解放運動の地道な取り組みよりも、事件ばかりに関心が向けられる。それが週刊朝日の記事問題につながった」と赤井隆史氏(部落解放同盟)は話す。

「同和問題は遠ざけておきたい、というスタンスをメディアはとってきた。ところが同和利権の事件のようなことが起きると、解放運動の地道な取り組みよりも、事件ばかりに関心が向けられる。それが週刊朝日の記事問題につながった」と赤井隆史氏(部落解放同盟)は話す。

◆「同和タブー」とこれからの部落解放運動
2012年10月、週刊朝日(10/26号)が掲載した橋下徹大阪市長の出自をめぐる記事に対し、橋下市長は「人格を出自と血脈に結びつけた記事」などとして週刊朝日・朝日新聞の取材拒否を表明した。その後、週刊朝日は「記事に問題があった」として連載中止を決定、編集長更迭、発行元の朝日新聞出版の社長辞任へと至った。問題の核心はどこにあるのか。部落問題とは何か。 部落解放同盟・大阪府連の赤井隆史氏に話をきいた。(全3回 3/3・構成:アジアプレス編集部)

◆「同和問題はタブー」と言われてきた一方、昨年の新潮や文春、そして今回の週刊朝日のように「部落・血脈」「同和・暴力団」と結びつける記事があいついで出ました。その背景は何なのでしょうか。
赤井:最近の傾向としては、2006年の飛鳥会事件など、私たちの組織の不祥事という問題にかこつけて、マスコミ業界における「同和問題はタブー」ではなくなった。それまでは、同和問題は怖い、解放同盟はうるさい、というイメージを彼らが持っていたのでしょう。

ゆえに、同和問題は遠ざけておきたい、というスタンスをメディアはとってきた。ところが同和利権に関する事件のようなことが起きると、いっせいに集中砲火した。それ以降、「同和タブー」が180度転換されて、同和問題の様々な矛盾や課題を突くようなマスコミの姿勢になった。その中に橋下氏のような、「改革の風雲児」のような人が現れた。彼の「出自」を誰かが暴いたのでしょうが、部落の関連であるようだ、となって、そこに一斉に飛びついた。すると、とめどもなくエスカレートして、暴けるだけ暴いてしまえ、となった。結局は、佐野眞一氏のような有名な人を通じて、今回のような事態になった。これが一定の背景にあると思います。

2006年に私たちの組織に起きた一連の不祥事で、これまで取り組んできた様々な取り組み、いくつもの成果が、水泡に帰したかのように評価が下がってしまった。別の意味で私たちがバッシングを受けるような形になった。それに対して、もう一回、花を開かせるような特効薬があるかというと、ないと思います。そのためには、私たちのひとつひとつの努力を重ねるしかない。そういう積み重ねのひとつひとつにマスコミがどうスポットライトをあててくれるのか。地域では、様々な地道な取り組みや実践をし、成果として現れたり、課題として見えてきていることもある。しかし、そこにはなかなか(メディアの)関心が寄せられない。ようやく識字教室がメディアでも取り上げてもらえるようになった。

これらの成果の土台には、隣保事業があった。劣悪だった地域に、世話人のような人がしっかりと生活のサポートをするということの始まりが隣保事業であり、昔の解放会館でした。しかし、同和対策特別措置法に基づく同和行政の援助などで事業が肥大化し、その結果、飛鳥会事件にまで至ってしまった。運動側が反省すべきなのはもちろんですが、行政も問われる課題があった。だからといって、いま、差別がなくなったかといえば、今日も差別はあるわけですから、それを行政としてどういう改善をするのか、ということは、私たちは橋下市長に問うてみたいことでもあります。
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