◆初めての断食月 挑戦と挫折(上)

10月16日午前4時過ぎ、ニュース速報のような電子音とともに、テレビの画面下に小さく「テヘラン地区 朝のアザーンまで30分」と表示された。夜明けのアザーン(礼拝呼びかけ)とともに、1ヵ月に及ぶ断食月ラマザーンがまもなく始まる。

外を眺めると、通りを挟んだ向かいのアパートには、明かりの灯る窓が4つ。人々はこの時間に起きて朝食を取り、その日の断食に備える。テレビ画面のカウントダウンは「あと10分」、「あと5分」と5分刻みの表示になり、早く食事を済ませるよう促す。

そしていよいよテレビから朝のアザーンが流れはじめた。近所のモスクからも、まだ未明の静寂の中、アザーンの朗誦が聞こえてくる。5分ほどでアザーンが終わると、さきほど灯っていた窓明かりがぽつりぽつりと消え始める。もう一眠りするのだろう。

数種のハーブ類と豆、麺を煮込んだアーシュ・レシテ。カリカリに揚げたタマネギとニンニクのスライス、炒めた乾燥ミント、くせのある乳製品キャシュクを上から添えて食べる。

数種のハーブ類と豆、麺を煮込んだアーシュ・レシテ。カリカリに揚げたタマネギとニンニクのスライス、炒めた乾燥ミント、くせのある乳製品キャシュクを上から添えて食べる。

 

イスラム教徒には五行と呼ばれる5つの義務がある。信仰告白、礼拝、喜捨、巡礼。そしてもう1つ、年に1度、イスラム暦(太陰暦)の9月にあたるラマザーン月に行われる断食。

ラマザーン月の1ヶ月間は、日の出から日没まで、日が出ている時間帯は食事だけでなくタバコや水を口にすることも出来ない。また、声を荒げたり、人と争ったりすることを慎み、喜捨に努め、忍耐力と自制心を養う。旅人、病人、妊婦、そして異教徒は例外とされるが、せっかくイランにいるのだ、イスラム教徒の断食がどういうものなのか、私と妻も挑戦してみることにした。

第1日目。陽が高々と昇った頃、私と妻は家を出た。広場に面した商店街では、イランの日常的な昼食であるサンドイッチやピザを売る軽食店、また伝統的なイラン料理を供するレストランも、軒並みシャッターを下ろしている。季節柄、この先それほど収入を見込めないアイスクリームや生ジュースの専門店の中には、この日を境に衣料品やCD、生活雑貨などを売る店に模様替えしてしまうところもある。

午後の授業を終え、17時過ぎに乗り込んだ帰りのバスは、いつもより混雑していた。道路も大渋滞だ。およそ13時間に及んだ今日の断食がまもなく明ける。初日の断食明けの食事を家族で囲むために、皆、仕事を早めに切り上げ、家路を急いでいるのだ。

誰もが時計を気にしていた。射すような夕日が、なだらかな傾斜地に林立するアパート群のかなたに沈もうとしていた。
バスが終点エンゲラーブ広場に着く前に日没は訪れた。この瞬間、バス後部の女性エリアでは、ほとんどの女性が鞄からパンやビスケットをいそいそと取り出し、周囲の人に勧め合ってから、一斉に食べ始めた。男性エリアには、そういう人は不思議と一人もおらず、皆じっと押し黙って、車窓に映る、レストランで嬉しそうに食事を取る人々を恨めしげに眺めている。バスは日没から15分後、ようやくエンゲラーブ広場に到着した。

広場にはお祭りムードが漂っていた。道行く人々の表情のなんと明るいことか。今日一日、誰もが待ち望んだ瞬間が訪れたのだ。日中シャッターを閉じていた飲食店は煌々と明かりを灯し、単身者や、帰宅が間に合わなかった人々を誘っている。どこも満席だ。

ほとんどの食堂は直径1メートルはある大鍋を2つ、店先に並べている。1つはアーシュ・レシテと呼ばれる、様々な野菜と豆をどろどろになるまで煮込んだうどん入りスープで、もう1つはアーシュラーのときにも食べた白濁スープ・ハリムである。この二つは、ラマザーン月にとりわけ多く食される料理で、お椀一杯50円ほど。若者や学校帰りの女の子たちが店先で立ち食いをしている。

広場の一角では、慈善団体がパック入りのジュースとビスケットを無料で配っている。私と妻がもの欲しそうに眺めていると、男性がわざわざ「どうぞ」と手渡しに来てくれた。

断食明けに欠かせないシロップ漬けのお菓子やケーキの菓子箱を携え、家路を急ぐお父さんの姿も目立つ。私たちもアーシュ・レシテを立ち食いし、シュークリームを500グラムほど買って家路に着いた。

<<12回へ | 記事一覧 | 14回へ>>

★新着記事