◇明治から石綿工場集中 「マスクつける指示もなかった」
大阪南西部の泉南阪南地域では、戦前からアスベスト(石綿)が産業として盛んだった。だが、その歴史は被害の歴史でもあった。零細工場が大半であり、粉塵の排気装置がなかったところも多かった。多くの人が塵肺、悪性中皮腫などで亡くなり、今も苦しんでいる。被害の実態は地元では知られていたが、有効な解決策が打ち出さないまま被害者は長く放置されてきた。国の責任を問う裁判(第二陣)が8月23日に大阪高裁判決を迎える。5月末、原告3人に裁判への想いを聞いた。
(聞き手 ラジオフォーラム 鈴木祐太)

:裁判が始まった経緯は?
岡田陽子:アスベスト工場の労働者が病気になる、というのは知られていました。大手機械メーカーのクボタが従業員と周辺住民にアスベスト関連の病気を認め見舞金を払ったクボタショックで大きくアスベストの問題が取り上げられたのが05年でした。泉南には明治から石綿工場あり、被害はこっちの方が古いぞ、というので掘り起こしが始まり、原告8人で提訴しました。私は87年から、自分の体にアスベストが入っていたのは知ってました。役所には、自分や家族が発病したらどうなるんやってずっと言ってきましたが、いつも鼻であしらわれました。親たちの労災の手続きをする度に、制度が少しでも変わっていかないとと希望を持って問うてきましたが、全く動きはありませんでした。一人の力を弱さというのをしみじみ感じたので、裁判に参加しました。

石川チウ子:私は隠岐島から出てきて10年間石綿工場で働きました。マスクをつける指示もかったので、着けずに働いてました。病気になったのは驚きですが、マスクをしていても、隙間から入ってくるので病気になったのではないか、と考えています。
佐藤美代子:私の主人はアスベストの仕事を32年間してきました。弁護士さんに「裁判をかけましょう」と声をかけて頂いた時には、主人の体はだいぶ弱っていましたが、「俺は裁判するのは嫌なんや。石綿の仕事をしてきて、子どもも育てて生活もしてきた。

それやのになんで会社を訴えないとダメなんや。それで子どもも大きくしたし、生活も成り立ってきたんや。だから、裁判なんかせぇへん」と拒みました。でも、6か月後に主人に内緒で訴訟を起こしました。最初のうちは、主人にばれるから裁判所にも行きませんでした。主人の体がだんだんだんだん悪くなるので「裁判起こしたくないのは分かるけど、私はあんたの体が心配やから裁判起こそうよ」と頼んだ。

「おまえはそんなにお金が欲しいんか?それでも、裁判起こすんか?」ってすごい怒りながら息づかいも荒くなっていった。何回か裁判所に行くうちに、訴訟に入ったことが(夫に)ばれました。主人が日に日に悪くなるのをずっと見ているのは、たまらないほど辛かったです。09年6月に主人は亡くなりました。つづきを見る>>
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◆泉南地域の石綿産業
泉南地域には100年の石綿の歴史がある。戦争中は軍艦などの軍需品に使われ、戦後は耐火服、耐火手袋など生産し、高度経済成長を支えてきた。被害の実態調査で、国は石綿の被害を分かっていた。それにもかかわらず、彼らは放置されてきた。最盛期の60年代には200以上の工場があり、2000人以上が働いていた。しかし、ほとんどが零細で粉塵の排気装置がある工場は少なかった。被害を受けた人には、沖縄や離島をはじめとする地方出身者、在日朝鮮人、被差別部落といった社会的弱者も多かった。

◆石綿=アスベストとは
アスベストは天然に存在する鉱物の一種で、耐熱性、電気絶縁性に優れ、摩擦、酸とアルカリに強く加工しやすい利点がある。その一方で、粉塵を大量に吸い込むと、20~40年の潜在期間を経て中皮腫や肺がんなどを引き起こす。そのため、「静かな時限爆弾」と呼ばれている。アスベスト全体の約8割は、ビルや工場などの建材に対して使われており、これらの建物の解体のピークは2020年頃と言われている。

◆泉南アスベスト訴訟とは・・・
戦前からアスベスト紡織産業が盛んだった大阪府南西部・泉南地域の人々が「石綿肺にかかったのは国が規制を怠ったため」として06年に国家賠償請求訴訟を提起。一審は、「国がアスベストの危険性を認識していた時期に被害を防ぐ規制権限を行使しなかったのは違法」として原告が勝訴したが、二審の大阪高裁では敗訴。現在最高裁に上告中。第2陣訴訟は一審で原告が勝訴したが、原告、国とも控訴。高裁判決は8月23日の予定。

◆インタビューに応じてくれた原告の紹介
岡田陽子さん(57歳)
父と母が働いていて泉南の濱野石綿の社宅で生まれる。父は95年、母は11年、ともにアスベストが原因で亡くなる。陽子さん自身は、アスベスト工場で働いた経験はなく、元気な時は看護師をしていた。
石川チウ子さん(75歳)
島根県隠岐郡西ノ島生まれ。57年から68年まで泉南の三好石綿で働く。06年びまん性胸膜肥厚と診断。
佐藤美代子さん(64歳)
夫の健一さんは74年から05年まで、五つのアスベスト工場で働いた。石綿肺になった後、肺がんも併発し、09年9月に多臓器不全のため64歳で亡くなる。
(ラジオフォーラム 鈴木祐太)

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