クボタショックの現場となった兵庫県尼崎市の旧クボタ工場。すでに270人がクボタに救済請求をしている(写真:筆者)

クボタショックの現場となった兵庫県尼崎市の旧クボタ工場。すでに270人がクボタに救済請求をしている(写真:筆者)


◇増加する「過去の曝露被害」

●クボタ周辺だけで270人が被害
NPO「中皮腫・じん肺・アスベストセンター」(所長:名取雄司医師、以下アスベストセンター)事務局長の永倉冬史氏は兵庫県尼崎市の旧クボタ工場周辺の被害を調査したさい、子どもを中皮腫で亡くした母親から聞いた話が忘れられないという。それはこんなふうだ。

子どもは電車が好きだった。それで母親はしょっちゅう旧国鉄の電車が鉄橋を通る、近所の河川敷に連れて行っては子どもに電車を見せていた。ところが、そこは当時のクボタ工場のすぐ裏で、しかもちょうど風下だった。大量のアスベストが飛散していただろう場所である。
「私があそこに連れて行ったばかりに息子を死なせてしまった」
母親はそういって涙を流し、悔やんだ。

こうした悲劇を無数に生んできたのがアスベスト被害だ。2013年6月15日段階で、クボタに救済金の支払いを請求したアスベスト被害者は270人に達する。そのうち療養中が20人あまり。すでに9割がたが亡くなっていることになる。

尼崎のクボタ工場では1957~75年までの19年間、発がん性が高いクロシドライト(青石綿)を使用した石綿管を製造してきた。同工場ではその後もクリソタイル(白石綿)に切り替えて、外壁材や屋根材の製造を1995年まで続けた(白石綿の使用は1954年から)。

このクボタ工場が青石綿を使用していた当時、工場周辺の高濃度の場所では、平均1リットルあたり507本ないし363本の青石綿が飛散していたと疫学調査を元にしたシミュレーションで推計されている。これは1989年に設定された工場の敷地境界基準とされる1リットルあたり10本の36~50倍に達する。

ちなみにこの基準は、青石綿よりも発がん性が低い白石綿を想定して定めた基準のため、青石綿ならさらに低い値となるはずである。このアスベスト濃度は、「アスベスト除去現場並み」である。つまり、クボタ工場周辺では、24時間ずっとアスベスト除去現場に防護措置なしで住んでいるような状態だったことになる。ちなみに、1リットルあたり10本を超えるのは風下4km以上に達したというのだからすさまじい(※詳しくは下記の調査報告)。

こうしたクボタ周辺や、奈良県や岐阜県のニチアス(旧日本アスベスト)の工場周辺など、アスベストを大量に飛散させた工場周辺で被害が発生する、というのがクボタショックで明らかになったアスベスト被害だ。それに対し、最近いわれているのはもっと小規模で短時間のアスベスト飛散あるいは少量ながら長期にわたるアスベスト飛散による曝露である。

※車谷典男(奈良県立医科大学)および熊谷信二(大阪府立公衆衛生研究所)「尼崎市クボタ旧神崎工場周辺に発生した中皮腫の疫学評価」(2006年3月31日)
http://www.joshrc.org/~open/files/20060331-022.pdf
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