(左から)ハンさん、石丸次郎、チャンさん。 写真 南正学

(左から)ハンさん、石丸次郎、チャンさん。 写真 南正学

◇元平壌の教員と元秘密警察要員が徹底討論「金日成の真似は馬鹿けたこと」
現代国家として異様な権力三代世襲を強行した北朝鮮。その渦中に祖国を捨てた二人の脱北者に、金正恩時代の行く末について討論してもらった。一人は平壌の教育関係者、もう一人は情報機関・保衛部要員だった人物。二人は、まず金正日氏死亡当時の社会の空気から語り始めた。平壌には「三代世襲はやりすぎ」の声もあったという。(整理 アジアプレス編集部)

○人物紹介
ハン・サンホ(仮名)30代半ばの男性。平壌出身で教育界で長く仕事をしてきた。日本在住の脱北者
チャン・チョルミン(仮名)咸鏡北道生まれ。軍服務の後2010年の脱北時まで国家安全保衛部(情報機関)で勤務した。韓国在住
司会 石丸次郎「北朝鮮内部からの通信・リムジンガン」編集長

石丸:まずは簡単な自己紹介を兼ねて、お二人が脱北した時の北朝鮮の社会状況について教えてください。特に、北朝鮮の「指導者」である金正恩氏が、当時、北朝鮮国内でどのように言及されていたかはぜひ知りたいところです。

ハン:私が北朝鮮を離れたのは2010年の初め、冬のことでした。当時はまだ、09年の「貨幣交換」(デノミ、編注1)の影響で、平壌市内の混乱も収まっていない状況だったことをよく覚えています。金正恩については、当時は公式に登場していませんでした(編注2)。

名前が伏せられたまま、軍隊内での講演会や政治学習の時に言及される程度でした。例えば、西海海上事件(編注3)の時に、「あの人」がどのような指揮を執ったのか、などの話はされていました。

チャン:私は2010年5月に脱北しました。当時は「パルコルム」(編注4)という歌がよく唄われている頃でした。5月に、私がいた保衛部の保衛指導員に対し、「情報員をどのように管理すればよいのか」、という内容の講演資料が上部から送られてきました。

その中に「われわれが今後、ソウルを乗っ取った後には、情報員たちの役割がとても重要になる」という金正恩が作った指示がありました。これを見て保衛部内では
「『金大将(正恩)』は、将軍様と同じくらいの胆力を持った傑物だ。今後は金大将に任せればよい」
という話でがされていました。

石丸:金正恩氏の存在が浮上し始めた頃、周囲はどんな反応でしたか?みな後継者と思っていたのでしょうか?

ハン:脱北当時まで、金正恩という名前は出ず、「金大将」とだけ呼ばれていました。金正日が権力を継承した時と同じように、その「金大将」についても講演会が開かれていたので、「これは彼に権力を渡すつもりだろう」という認識が広がっていました。しかし、色々と批判的な意見がありました。それなりの地位にある年配の多くの幹部たちは、「いくらなんでもやり過ぎではないか」、「まさか三代目への世襲はないだろう」という話を裏でしていましたね。
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