◇ 「金父子神格化教育」の始まり
幼稚園では、簡単なウリマル(朝鮮語)、歌や踊りなどのプログラムがありました。朝8時には、園庭に集合し、音楽に合わせて先生たちと朝の体操をし、班ごとに部屋に戻って、先生からいろいろなことを教わるのです。お昼にはみんなで給食を食べて(ほとんど毎食、わかめスープがついていました。私が幼稚園に通っているときの給食は、いつも白米ご飯でした)、お昼寝をします。夕方に家に帰るまで、ずっと先生と友達と一緒にいることになるのです。
考えてみれば、このときから既に、金日成主席や金正日総書記に対する忠誠心を植えつける教育は始まっていました。

幼稚園の教育プログラムの一つに、自分たちの教室で行わないで、金父子に関する資料が集められている「教養室」で行われるプログラムがありました。今も覚えているのは、金日成主席の生誕の地とされる「マンギョンデコヒャンチプ(万景台生家)」と、金正日総書記が誕生したとされる「ペクトゥサンコヒャンチプ(白頭山生家)」を再現した模型があって、その周りを子供たちが囲み、先生からの言葉を復唱し、暗誦したことです。

先生が、両手を丁寧に万景台生家の方に向け(肖像画など、金父子に関わるものを指すときは、尊敬の気持ちを込めて、仰ぐように両手をあげなければなりませんでした。片手や指で指すようなことはしてはいけなかったのです)、説明します。すると、私たちは同じ言葉を繰り返しながら覚えるのです。何度か練習が終わると、今度は一人ずつ、先生と同じように両手をあげ、先ほど習った言葉を大きな声で暗唱します。
「敬愛なるアボジ(お父様)・金日成元帥様は1912年4月15日、ここ万景台生家でお生まれになりました」

「親愛なる指導者・金正日先生は、1942年2月16日、ここ白頭山生家でお生まれになりました」
金父子に対する呼び方は、年齢によって異なりますが、私のように幼稚園、人民学校(小学校)、高等中学校3年生くらいまでは、「敬愛なるアボジ(お父様)」、「大元帥様」、「元帥様」、「将軍様」などと呼びます。子供が「偉大なる首領」などとは呼べなかったのです。

高等中学校4年生になって(強制的に加入させられる)「金日成社会主義青年同盟」に加入してからは、「金日成首領様」や「金正日同志」などと呼ぶことができるようになります。金父子の肖像バッジをつけるのを許され、「同志」と呼べる頃になると、自分もやっと一人前の青年になったと感じることもありました。幼稚園では他にも、金父子の両親、祖父母の誕生日などのことも教えます。

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