◆ 雨の日の二人歩き
私が父の役に立つときもあります。雨の日です。
突然雨が降った日や梅雨のとき、父が傘を忘れた日には、仕事に行った父を迎えに、傘を持って行くのが私の仕事でした。
父も祖母同様、勉強嫌いの弟に代わって、私に父の職業を継いでほしいと思っていました。しかし、私は、医者になって人の体にメスを入れることなど考えられませんでした。

私にとって病院は恐いもので、いくら行っても親近感は湧かないものだったのです。父の勤め先でなければ、そして私が病気にかからないのなら、一生行きたくないところでした。
そんな私には、父のために傘を持っていくことが決して楽しい仕事ではなかったのですが、まぁ文句を言っても仕方がないので、いつも渋々と病院に向かうのでした。

父が勤務する病院は、家から歩いて30~40分ほどのところにありました。私は、父の退勤時間を見計らって、父の黒い傘を手に持って、自分の傘を差して家を出発します。夕やみが迫る道をぶらぶら歩きながら、私はなるべく楽しい空想をします。
前日の台風でぼきっと折れてしまった並木をぼーと眺めていたり、小川に流されてゆく葉っぱを追ったりと、私を待つ父の気持ちなど知る由もなく、私はいつも、とても長い時間をかけてやっと病院にたどり着くのです。

病院の正門についた私には、そこからが関門でした。父が待っているところまで行くには、正門をくぐって裏側にある建物まで行かないといけないのですが、そのためには、たぶんロシア語だと思われる文字が書かれた碑石があるところを通過しなければならなかったのです。

どこからか聞いた噂話だと思うのですが、私は、その碑石の下に、本当にロシア人が眠っていると思い込んでいました。もう何度もその前を通っていましたが、恐怖心はちっとも減りません。正門の前に立って、深呼吸をした私は、勢いをつけて裏の建物に向かって走ります。普段はとてものんびりした私ですが、そこで出るスピードは自分でもびっくりするようなものでした。

無我夢中で走っていると、遠くに、階段で待っている父が見えます。父も私を見つけると、雨に濡れながら走ってきてくれます。そして、何も言わず、私から傘を受け取って広げます。私は、自分の傘を片付けて、父のところにくっつきます。

そうして二人で家に帰ってくるのです。二人の間に会話はありません。ただ黙々と歩くだけです。父は、私の歩幅に合わせてゆっくりと歩いてくれます。それが父の愛情表現だと、そのときは気付きませんでした。口に出して言わない父の愛情を感じるには、私はあまりに幼かったのです。

著者紹介
リ・ハナ:北朝鮮・新義州市生まれ。両親は日本からの「帰国事業」で北朝鮮に渡った在日朝鮮人2世。中国に脱出後、2005年日本に。働きながら、高校卒業程度認定試験(旧大検)に合格し、2009年、関西学院大学に入学、2013年春、卒業。現在関西で働く。今年1月刊行の手記「日本に生きる北朝鮮人 リ・ハナの一歩一歩」は多くのメデイアに取り上げられた。
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