○放浪生活のはじまり
農村での暮らしは、私にはまったく想像ができませんでした。日本の田舎とは比べものにならないほど、北朝鮮の農村の生活は過酷なものです。ましてや私たちには、自分でもよく分からない罪名の烙印が押され、一生出られない辺ぴな農村で死んでいくことになる。考えるだけでゾッとしました。将来の夢も希望も、一瞬で粉々に散ってしまいました。

私と弟は放心状態で数日を過ごしました。気が動転し、この先どうなるかという不安で、物がのどを通らないほどつらい数日間でした。
その間、母はずっと外に出かけていました。まだ現実が受け入れられず、もしや母がうれしい知らせを持ってくるのではないかと期待していた私に、母は最悪の便りを持ってきました。母は私たちに、最低限必要なものだけまとめて叔母(母の妹)の家に行くようにと言いました。

「私たちには戸籍も家も何もない。それにすぐに戸籍を取り戻すのは無理だ。だからといって一旦農村に行ってしまうと永遠に戻れないかもしれない。親戚の家の転々としながらでもここに残る必要があるから、しばらくの辛抱を覚悟してくれ、必ず戸籍を取り戻すから」
母はそう言いました。その話があってから私たちが北朝鮮を脱出するまでの数年間、私たちは、叔母や(父方の)祖母の家などの親戚の家や知人の家、そして他の市に母が用意した空家など、あちこちを転々としながら、戸籍が無くて浮いた状態の、つらい「放浪」生活を強いられることになります。

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