両親と死別したコチェビ(ホームレス)の兄妹。15歳と13歳だ。炭鉱から横流しされた石炭を運ぶなどの雑用をして生活費を稼ぎ、生き抜いている。2009年8月 撮影 金東哲(キム・ドンチョル)

両親と死別したコチェビ(ホームレス)の兄妹。15歳と13歳だ。炭鉱から横流しされた石炭を運ぶなどの雑用をして生活費を稼ぎ、生き抜いている。2009年8月 撮影 金東哲(キム・ドンチョル)

◇ 睡眠薬100錠

死のうと思うと、すごく気持ちが楽になるのを感じました。
そうだ、私一人が消えれば済む話だ。私が国を裏切りたくてそうするわけじゃない。社会が私をそうさせるのだ。家族に迷惑がかかるかも知れないが、今の私にはそんなことを考える余裕がない。消えてしまえば何もかも楽になる...。
一旦決めると、どんどん気持ちが傾いてしまい、そのときから私は、死ぬことしか考えなくなりました。

私は、ヘソクリを使って、睡眠薬を買い集め始めました。近所の薬屋さん(闇で薬の販売をしている個人宅)に行って、母が眠れないからとウソを言って 睡眠薬を買いました。薬屋さんでも少量しかくれないものを、約1ヶ月半をかけて集めたのです。1回2錠飲むものを100錠くらい、特に眠れないときにしか 飲んではいけないというものを20錠(1回2錠)くらい集めた私は、いよいよ時が来たと思いました。医学的な知識が全くない私としては、これだけ飲めば きっと死ぬだろうと思ったのです。

いざ死のうと思うと、いろいろな想いが複雑に交錯し、数日間は生きた心地がしませんでした。もう私の命はここまでだという絶望と、この数日間に奇跡 が起きて、戸籍が戻るのはないかという希望が入り交じった、本当に思い詰めた涙の滲む数日間でした。死にたいのか、生きたいのか自分でもわからなくなっ て、気が狂いそうになりました。何度も薬を持ち出してはまた戻すことを繰り返しているうちに、涙も乾き、感覚が麻痺していきました。

一番の気がかりは、弟でした。考えてみれば、うれしいときも悲しいときも、いつもそばにいてくれた私の弟でした。口に出して言わなくとも、きっと心の中では私と同じく苦しんでいるはず。私がいなければ、弟は誰に頼るのだろうか。こんな意志の弱い姉を許してほしい...。

葛藤しながら数日間を過ごした後、ある日突然決心がつきました。朝目が覚めると、珍しく頭は冴えていて、清々しい気分でした。真っ先に「今日だ!」と頭に浮かびました。

トイレに行き、100錠以上ある錠剤を2回に分けて飲み込みました。全部飲み込むと、意外と気持ちがさっぱりして、自分でも意味が分からない笑みがこぼれました。

著者紹介
リ・ハナ:北朝鮮・新義州市生まれ。両親は日本からの「帰国事業」で北朝鮮に渡った在日朝鮮人2世。中国に脱出後、2005年日本に。働きながら、高校卒 業程度認定試験(旧大検)に合格し、2009年、関西学院大学に入学、2013年春、卒業。現在関西で働く。今年1月刊行の手記「日本に生きる北朝鮮人  リ・ハナの一歩一歩」は多くのメデイアに取り上げられた。

リ・ハナ

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