3年目を迎えるシリア内戦。死者は13万を越え、国民の3割近くが家を追われた。対立の構図は政府軍と反政府組織に加え、イスラム勢力やクルド組織も台頭するなど複雑化。北部ではアルカイダ系組織が、強硬なイスラム主義による支配を拡大させつつある。
1月、玉本英子はトルコ南部でシリア難民を取材するとともに、シリア国内に入り、内戦下の人びとの声を記録した。いまも激しい戦闘が続くアレッポ県北部地域からの渾身の現地報告。

小学6年生のウバダくん。アレッポの自宅アパートに爆弾が落ち、トルコ・アンタキヤに逃れて2年になる。内戦は長期化し、多くの避難民が先行きの見えない暮らしを送る。(1月撮影・玉本英子)

小学6年生のウバダくん。アレッポの自宅アパートに爆弾が落ち、トルコ・アンタキヤに逃れて2年になる。内戦は長期化し、多くの避難民が先行きの見えない暮らしを送る。(1月撮影・玉本英子)

 

◆故郷に帰る見通し立たず

戦闘から逃れ、国外に避難した避難民たち。近隣国や国連などが設けた難民キャンプの多くはすでに満杯状態になっている。収容限界を超えたために自ら仮住まいのアパートなどを借りる避難民も少なくない。トルコでは、避難民の6割以上が都市部に暮らすといわれる。

トルコ南部、アンタキヤ市内にある団地が並ぶ地区。アイマン・ファードさん(54)のアパートを訪れた。妻と4人の子どもたちが交わすアラビア語が聞こえる。

アイマンさん一家が暮らしていたアレッポは、2年前、アサド政権派と反政府派、さらにクルド勢力など諸派が市内を分断する形で戦闘を激化させた。自宅に爆 弾が落ち、「戦闘が収まるまでの一時避難」として、一家でトルコに逃れた。ところが内戦は全土で本格化、アイマンさんは故郷に帰る見通しすら立たなくなっ た。

トルコの都市難民の多くは、難民キャンプのような一定の生活支援を受ける機会はない。トルコ語が話せないアイマンさんには、なかなか仕事は見つからない。アメリカに住む親戚からの仕送りと、これまでの貯金を切り崩しながら、なんとか生活しているという。

次男のウバダくん(12)が自分の部屋を見せてくれた。幼い弟とふたり、小さな部屋に中古のベッドと机だけが置かれている。

「シリアを出るとき、荷物をまとめる時間もなかったから、写真一枚すら持ち出すことができなかった」
ウバダくんは、すぐまた戻れる、と思っていたという。

昨年、イスラム諸国や支援団体の援助でシリア人避難民の小学校が近くに開校し、ようやくそこに通えるようになった。避難民の急増で児童数は2倍に膨れ上がった。

シリアにいた頃は、友達と好きなテレビアニメの話をしていたが、今は戦争の話ばかりだという。
「先月、アレッポから来た子が『あちこちで死体を見た。みんな死んじゃう。もう暮らせない』と言っていた。ショックだった」。

数か月前、大雨で雷が落ちたとき、ウバダくんは「殺される」と叫びだしたという。突然、ひとりでふさぎ込んだり、うずくまるようになった、とアイマンさんは話す。

「友達とサッカーをしたり、テレビゲームで遊んだ。友だちとはもう会えないのかな。シリアに戻りたい」
ウバダくんは、小さな声で言った。

【トルコ南部アンタキヤ 玉本英子】

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