◆フィリピンの「キャプテン・ヨシダ」とアジア・太平洋戦争

しかし、戦争の被害の記憶のほうが勝り、加害者意識と罪責の念は薄いのが、あるいは無関心なのが、戦後一貫した日本の現実である。

安倍首相も「侵略の定義は定まっていない」と発言するなど、植民地支配と侵略について謝罪した「村山談話」を踏襲したくない本音をあからさまにしている。日本の戦争加害と罪責について思いを巡らせているようには見えない。

では、自分自身はどうなのかといえば、加害者意識と罪責の念を深めてきたとは言い切れず、心もとないのが実際のところである。

ただ、かつて東南アジアで日本が残した戦争の爪痕にふれ、いたたまれない思いをした経験から、自分なりに問題意識だけは持ちつづけている。

たとえばフィリピンを旅していて、レイテ島からミンダナオ島に渡る連絡船の上で、現地の人から名前を聞かれたことがある。「ヨシダです」と答えると、ある初老の男性が私の目を見つめながら、英語で言った。

「戦争中、俺たちの村にキャプテン・ヨシダにひきいられた日本軍の部隊がやって来た。
村人を殺したり、略奪したり、家を焼いたりした。おまえの父親ではないのか?」

私は言葉につまった。顔もこわばってくる。「キャプテン・ヨシダ」とは「吉田大尉」を意味する。アジア・太平洋戦争での日本の加害の歴史の断面が、突然目の前に現れ、問いを突きつけてきた。ただ、私の父親は戦争末期に海軍予科練に入隊したが、フィリピンには来ていない。

「ヨシダは日本人に多い名字ですが、父はフィリピンに来たことがなく、人ちがいです。あなたの村で日本軍が悪いことをしたのはわかります......。それは、たしかかに悪いことで......」

私はしどろもどろになった。彼は一応うなずいて、それ以上何も言わなかったが、周りでは最後まで疑わしそうな目を向ける人もいた。
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