◆日米両政府に衝撃を与えた「米軍駐留は違憲」という判決

そもそも砂川裁判は、1957年7月8日に東京都砂川町(現立川市)にあった米軍立川基地の滑走路拡張のための測量に反対する、地元農民と支援の労働者・ 学生のデモ隊の一部が、基地内に数メートル立ち入ったとして、同年9月22日、23人が逮捕され、そのうち7人の労働者と学生が起訴された砂川事件をめぐ る裁判です。

容疑の内容は、日米安保条約にもとづく刑事特別法違反でした。
刑事特別法とは、米軍基地への許可なしでの立ち入りや米軍の軍事機密の探知などを取り締まるための法律です。

この砂川裁判の一審判決は、東京地裁で1959年3月30日に言い渡されました。

日本に駐留する米軍は、憲法9条が禁止する戦力の保持に該当し、その存在は違憲である以上、刑事特別法の規定も違憲であり、被告は全員無罪である、という判決でした。

それは、判決を言い渡した伊達秋雄裁判長の名前をとって「伊達判決」と呼ばれるようになりました。

「米軍駐留は違憲」と判断したこの画期的判決に、アメリカ政府と日本政府は衝撃を受けました。

なぜなら、「米軍駐留は違憲」という判決によって、「米軍駐留は合憲」という従来の日本政府の解釈が否定されてしまえば、日米安保体制の根幹が揺らいでしまうからです。

また、当時、全国各地でくりひろげられていた米軍基地反対闘争や、安保条約改定反対運動を、「伊達判決」が勢いづけることも、日米両政府は懸念しました。

さらに「伊達判決」が、その頃、日米両政府間で進められていた安保条約改定交渉の障害になると考えられたのです。

この違憲判決がくつがえされないままだと、新安保条約案の国会提出も調印もできなくなるという懸念からです。

そこで、「伊達判決」を一日も早く、くつがえそうとして、判決直後からアメリカ政府と日本政府は動きだしました。

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