また、有事になっても日本ではシビリアン・コントロールが利くとは到底思えない。安倍首相を始め、いまの政治家たちに自衛隊を制御できる能力は備わっていない。
軍法(軍事法典、軍事法廷)を持たない自衛隊を海外へ派遣するという問題も積み残されている。「紛争交渉人」で知られる伊勢﨑賢治氏(東京外国語大教授) によれば、「後方支援」や「非戦闘地域」という言葉は政府の造語であり、「日本独自の言葉であるため、多国籍軍の現場では英語に訳しようがありません」 (『日本人は人を殺しに行くのか』朝日新書)という。この期に及んでも、国内の議論と国連PKOなどの現場とのズレを埋める努力はなされておらず、論点と なっていない。

自衛隊を海外へ派遣する法的な根拠と議論は生煮えのままである。メディアは政府の繰り出す複雑怪奇な安保法制の説明、解説や与党協議、政府の動きなど、政局報道に多くの時間を割き、本質的、根源的な批判は影を潜めている。これこそ、政府の思うツボである。

日本でもっとも影響力のあるメディアはNHKである。その看板ニュース番組である「ニュースウォッチ9」の、あるキャスターは、集団的自衛権につい て「(行使容認への)国民の理解がなかなか追いつきません」(2014年7月1日)などと述べ、政府の提案に対して、国民はそれを受け止め、理解する努力 をすべきである、という国家目線でニュースを伝えていた。アメリカで安倍首相の歴史認識が批判されたときも、「安倍総理の主張について正確な理解を広めよ うとするならば、よほど周到な戦略と言葉の選択をしない限り、その思いが通じにくくなっているのもまた事実です」(2013年5月9日)と首相の心中を忖 度するようなコメントを付けていた。「真意が伝わっていない」「誤解が生じている」等など・・・。権力を監視する番犬(ウォッチドッグ)ではなく、ポチと 揶揄されても文句は言えない。

なぜ公共放送があるのか。誰のための放送なのか。籾井会長だけでなく、この問いに胸を張って答えることのできる記者は何人いるのだろうか。

安倍政権によるメディアへの露骨な介入は、むろん許してはならないが、いちばんの問題は介入をはね除ける気概と批判精神をメディア側が失っていることである。
メディアの弱腰を嘲笑うかのように、政府は日本のあり方を根底から変える安保法制を着々と進めている。いまこの稿を沖縄で書きながら、「過ちを繰り返さない」ために何をすべきか。自戒を込めて考え続けている。(了)【野中章弘】

初出:『月刊ジャーナリズム』(朝日新聞社)2015年6月号

<<戦争と暴力のもたらすもの~安保法制とメディアの現在(1)

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