石綿被害について国は責任回避のために嘘と隠ぺいの主張を繰り返してきたが、2014年10月、大阪・泉南地域のアスベスト被害者やその家族らが国を訴え た「泉南アスベスト国賠訴訟」で、最高裁は国の責任を断罪して終結した。第18回は「アスベスト被害の原点」とされるこの訴訟の最高裁判決後に残された問 題について考察する。(井部正之)

30年以上前に麻袋再生の事業所だった納屋。作業途中の麻袋が散乱している。ここではアスベストの原綿が入っていた麻袋も再生され、当時、作業を行った者たちの中で被害者が出ている

30年以上前に麻袋再生の事業所だった納屋。作業途中の麻袋が散乱している。ここではアスベストの原綿が入っていた麻袋も再生され、当時、作業を行った者たちの中で被害者が出ている

 

◆労働者4人だけではなく、住民3人もアスベスト被害に

被害者支援団体「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」(古川和子会長)の調査によれば、大阪府堺市内には中皮腫などのアスベスト関連疾患を発症し、 労災認定を受けた労働者が勤めていた「ゴロス」事業所が5カ所あった(「ゴロス」とは麻袋を指す俗称「ドンゴロス」から転じた言葉で麻袋再生業)。

それらの事業所では中皮腫で1人、肺がんで2人、石綿肺で1人と計4人が労災認定を受けている。しかも3人の近隣住民が中皮腫を発症して亡くなっているという。住民についても工場からの曝露被害が疑われる。

なお、胸膜プラーク(アスベスト曝露によって壁側胸膜にできるタコのようなもの。アスベスト曝露の指標とされる)の所見を持つ住民はもう1人おり、前回紹介した熊取絹代さんら3人とあわせ、計4人である。

本連載で報じてきた泉南アスベスト訴訟の最高裁判決では、1958年から71年までの間に、工場内からアスベスト粉じんを除去する「局所排気装置」の設置を国が義務づけなかったことを違法と断じた。

2014年10月下旬、国は勝訴が確定した原告らと「同様の状態にあった石綿工場の元労働者」に対して、「訴訟上の和解の道を探る」と表明した。

厚生労働省によれば、対象となるのは、
(1)1958年から71年までの間に石綿工場に勤めていて、
(2)アスベスト関連疾患が原因とされる労災認定を受けている元労働者、
という。

被害者や遺族らが民事訴訟で国を訴えると、国が決めた和解条件を満たしているかを裁判で審理し、それが確認されたところで和解との流れになる。

泉南訴訟と並行して争われていた石綿工場の元労働者やその遺族による訴訟では、国側から和解の手続きが提示されていると聞く(2014年11月段 階)。現在ではすでに泉南3次訴訟をはじめ、さいたま市にあった「日本エタニットパイプ」(現・リゾートソリューション)、大阪府東大阪市の「五稜石綿稲 田工場」(廃業)の元労働者らが泉南最高裁判決と同等の条件で国と和解が成立している。

麻袋再生業でも国の和解条件を満たす人たちは少なからず存在するだろう。つづく【井部正之】

<大阪・泉南アスベスト訴訟を振り返る>一覧

※拙稿「最高裁判決で終わりではない 求められる最大限の安全配慮」『日経エコロジー』日経BP社、2015年1月号掲載を一部修正

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