日本での難民申請をあきらめ、出国前に京都を訪れたイラク人のワリードさん(2012年6月:玉本撮影)

日本での難民申請をあきらめ、出国前に京都を訪れたイラク人のワリードさん(2012年6月:玉本撮影)

 

シリアとイラクの混乱で多くの難民が生まれている。私のたくさんの知り合いや友人も故郷を捨て、国外に逃れる決意をした。イラク人のワリードさん(46)もその一人だ。(玉本英子)

バグダッドでエンジニアだったワリードさんは、得意の英語を生かし外国の支援団体やメディアで通訳ガイドとしても働いてきた。日本のテレビ局のイラ ク取材でも何度も通訳を務めた人なので、彼の関わったニュースを見た人も多いと思う。私も以前バクダッドでお世話になったことがある。浅黒い顔と鋭い眼光 が、笑うと顔をくしゃっとさせて愛らしかった。

彼はいくつかの外国メディアに協力したとしてイラクの武装組織から殺害予告を受け、家に脅迫状が届くようになった。2011年、商用で来日したワリードさんは、そのままイラクに帰国せず、難民申請を行なった。

私は東京までワリードさんに会いに行った。彼は「ダイジョウブ」と笑顔で言った。関東でうまくやっているんだと思った私は、それ以降、頻繁に連絡は しなかった。1年後、「来週イラクに帰ります」と突然メールが届いた。難民申請は審査結果が出ないまま何カ月もたった。支援などに支えられ生活してきた が、いつまで待ち続けなければならないのか不安は募り、帰国を決めたという。「日本の難民制度の壁は厚かった」。遠い異国の地、日本に暮らす彼の心情に思 いを寄せてこなかった自分を反省した。少しでもいい思い出を残せたらと、京都旅行に招待することにした。

京都にやってきた彼をレンタル和服に着替えてもらい、私の友人の案内で清水寺などをまわった。「着物似合うてはるよ」。道すがら声をかけられた。バ スの席では、彼が座った隣のすき間に、おばちゃんがお尻を割り込んできた。それがうれしかったらしい。「中東系の顔をした僕の隣に座ろうとする人なんてい なかったから」。先斗町のおばんざいの店では、お客さんが赤ちゃんを抱かせてくれた。イラクには幼い子どもたちがいる。彼の瞳は潤んでいた。
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