◆政権による世論ミスリードでは

国連人権理事会の特別報告者であるジョセフ・ケナタッチ氏(国連HPより)

国連人権理事会の特別報告者であるジョセフ・ケナタッチ氏が5月18日に、「表現の自由を制約するおそれがある」と共謀罪法案(「テロ等準備罪」法案)に懸念を示す書簡を安倍首相に送ったことが波紋を呼んでいる。

そうした中で5月27日、外遊先のイタリアで安倍首相がグテレス国連事務総長と懇談したのだが、その席上で同事務総長が「(ケナタッチ氏の意見は)必ずしも国連の総意を反映するものではない」などと語ったと、日本のメディアが報じた。

これは、外務省の発表をそのまま伝えるものだ。この外務省の発表には、同事務総長が「慰安婦」問題で昨年結ばれた日韓合意についても、賛同・歓迎の意を表したという一文がある。

この内容については、同じ懇談についての国連の公式プレスリリースと異なるという指摘が多くなされており、実際、翌28日には国連の報道官が日本側の発表を否定するに至った。

発表内容の個別具体的な検証については、たとえば国際人権NGOヒューマンライツ・ナウの伊藤和子弁護士による「国連事務総長と安倍首相会談に関する報道に疑問」という記事などを読んでいただければと思う。伊藤弁護士はそこで、国連のプレスリリースと日本の報道内容をつき合わせてその異同を検討している。それを読む限りでは、「国連の総意」という文言は国連側のリリースには存在しないようだ。

私はしかし、事務総長側が実際にそう言ったかどうかという以前に、そもそも、「国連の総意」なる言葉がこの文脈で登場することに違和感を持つ。

立ち止まって考えてみよう。そもそも「国連の総意」って何だろうか。ご存知のとおり国連は、体制も文化も異なる193の加盟国が集まった国際機関であり、国家のような主権をもたない。

その国連で「総意」と呼べるものがあるとすれば、「世界人権宣言」のような一般的な理念か、国連総会の決議か、あるいは国連で特別な地位を占める安保理の決議くらいのものだろう。ケナタッチ氏の主張が、そういう意味で「国連の総意」でないことは、最初から明らかなことである。そもそも一国で審議中の法案への賛否について「国連の総意」などあるわけがない。

ケナタッチ氏の書簡が波紋を呼んだのは、彼が、各国の人権状況について調べ、その改善を勧告する国連人権理事会によって任命された特別報告者だからである。特別報告者とは、加盟各国の利害から独立したエキスパートとして認められた存在である。普通に考えて、そういう人物が首相に書簡を送ったというわけなので、それだけで十分に重く受け止めるべきことのはずだ。

実際に、安倍首相が「あの書簡は国連の総意ですか」と事務総長に尋ね、事務総長が「いいえ」と答えるといった経緯があったのかもしれない。だとしてもそれは、言わずもがなのことに当然の答えが帰って来たということに過ぎない。外務省があえてそのことを強調して発表に盛り込んだのは、“ケナタッチ氏の批判には権威がない。国連と関係ない”と印象付けて世論をミスリードしようという、安倍政権の意図があってのことだろう。

気になるのは、新聞がそれを疑問も示さずに報じているように見えることだ。だとすれば私たちは、これまで以上に常識的な批判力を磨くしかない。(加藤直樹)

加藤直樹(かとう・なおき)
1967年東京都生まれ。出版社勤務を経て現在、編集者、ノンフィクション作家。『九月、東京の路上で~1923年関東大震災ジェノサイドの残響』(ころから)が話題に。近著に『謀叛の児 宮崎滔天の「世界革命」』(河出書房新社)。

【書籍】 九月、東京の路上で~ 1923年関東大震災ジェノサイドの残響

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