帰国前に米子の写真館で撮影された中学生のリョンホさんと母。1960年頃か。

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黒龍江省の寒村に潜伏していた元在日

5元(当時約70円)の料金を支払って乗り込んだマイクロバスは、補助席に客が埋まってから、ようやく鉄道駅前のバス停を出発した。すぐに辺りは田園地帯となり、やがてバスが行くガタガタ道の両脇は、畑が地平線のかなたまで続く単調な風景になった。

私の前の座席にはキョンミさんがぐずる赤子を抱いて座っている。その横の窓側には中国朝鮮族の夫が目をって座る。バスの運転手も乗客の誰も、キョンミさんが飢餓を逃れて2年前に北朝鮮から逃亡してきた難民であることには気づいていない。

私も中国風に頭を刈り、服を着替えているので、黙って座っていれば外国人であることを悟られる心配はない。車内で余計な気を引かぬよう気をつけながら、私は最後部の席でそっとビデオカメラを取り出し、バスの揺れでぶれないようにしっかりホールドしながら、枯れた色の畑が延々と続く車窓の外の景色を撮り続けた。

2000年3月中旬、黒竜江省中部の農村に匿われているという日本生まれのキョンミさんの父親に会うために、私は彼女に連れられ列車からバスに乗り継いで、北へ北へと向かった。

中国東北地方の冬は寒く長い。寒さの峠は越えているとはいえ、朝晩は零下20度にまで冷え込む。風がなく吹き込んでくるバスの中も、おそらく氷点下だろう。足先が寒さで痛い。前の座席でぐずる2歳の娘キルファは、ねんねこ代わりの厚手の毛布に包まれている。

バスに揺られること2時間余り、単調な枯れた景色に疲れた頃、私たちは小さな村の入り口でバスを降りた。瓦葺き、葺きの平屋が半々ぐらいの120戸ほどの村の中を、目立たぬよう無言でって歩くと、村の一番はずれの藁葺きの家に至った。

「アボジ(父さん)いるの?」

そう言いながらキョンミさんが扉を開けて入って行く。続いて夫のヨンギさん、私。

「こんにちは、初めまして。日本から来ました」

私は日本語で、そう挨拶した。キョンミさんの父・(パク・リョンホ、仮名)さんは、突然の日本人の訪問に戸惑いながらも嬉しさを隠そうとしなかった。

「ど、ど、どうぞ。よ、よくいらっしゃいました」

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