福島県南相馬市小高区にある南相馬市ボランティア活動センター。日本中からいまも多くのボランティアが集まる(2017.10.1撮影筆者)

東日本大震災の発生直後、全国から多くのボランティアが被災地に駆けつけたことは記憶に新しい。だが、原発事故により避難指示を受けた福島の各地では、いまもボランティアへの要請が途絶えることはない。南相馬市ボランティアセンターを介し、活動に参加した。(大村一朗)

◆南相馬のきゅうりの味   
ボランティア2日目の土曜は、福島大学のボランティアグループをはじめ、団体、個人合わせて多くの参加者が集まった。この日の午前に割り当てられたのは、小高区の外れにある農家の倉庫の片づけだった。

ビニールハウスや畜舎を備えた大きな農家で、ご高齢の家主夫妻と、久しぶりに片づけのために実家に戻っているという息子さんが迎えてくれた。母屋の一部は改装中で、畜舎にいたという豚も死んで今はいないというから、恐らくしばらくの期間は避難を余儀なくされていたのだろう。今回の依頼である倉庫内の片づけも、倉庫を取り壊すための準備だった。

倉庫内の廃材や器具を、少し離れたビニールハウスに移動させるのが今回の仕事だ。ところが、作業を見守るご主人に「これは運んで構いませんね」と尋ねると、「それはあとでやるから」と首を振る。何を尋ねても「それはあとで……」と返ってくる。見かねた息子さんが、どうせ捨てるものなんだからと促してくれる。あらかた倉庫内が片付き、床の砂埃をほうきで掃き出していると、コンクリートの床に「昭和四十四年○○建設」の文字が現れた。半世紀の思い出をため込んだ倉庫なのだ。
関連写真:<福島・南相馬>東日本大震災・被災地支援活動のいま~ボランティア体験を通して(上)

庭先で休憩をいただいていると、家主のご夫妻が飲み物やお茶菓子はだけでなく、一抱えもある箱に、4本ずつ包装されたきゅうりをたくさん持ってきて、センターの皆さんで分けてくださいという。「ちゃんと放射線検査受けて、大丈夫なものだから」と付け加えるのは、よその土地から来た私たちへの気遣いなのだろう。それを聞いて、そばで休憩していた地元の大工さんの一人が、私たちに向かって言う。

「もしここに、日本とチェルノブイリの食べ物、ふたつ並べて出されて、どちらか選べって言われたら、どっちを選ぶ? チェルノブイリは選ばないだろ? 30年経っても選ばれないんだよ。福島産もそう。ずっとこの先も。福島って名前だけでもうだめ。じゃあどうすればいい? 福島って名前変えるしかないか。なんて名にするかな」

その晩、私は宮上さんと二人、きゅうりに味噌をつけて頬張った。太く、中心までしっかり実がしまっていて、くせのない甘さ。「まっこと、うまいのう」と宮上さんが高知弁で感嘆する。

あの老夫婦が荒れた住居を整え、土を除染し、ビニールハウスを再建し、放射線検査を繰り返して、ようやく出荷に至るまでの長い道のりと、それでも県外、あるいは市外にさえ出荷するのが困難な「南相馬産」の現状を思った。
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