病気に苦しんだスイス人女性、シャンタールさん(76)は安楽死を選んだ。彼女の死後も親族の心は揺れている。写真はアルプス山脈(2016年10月撮影:玉本英子)

◆別れの言葉、見つからぬ私

先日、心が重くなる出来事があった。私の知り合いのスイス人女性が11月、安楽死でこの世を去ったのだ。76歳のシャンタールさんが進行性の病気にかかっていたことは聞いていたが、まさかそうした選択をするとは思ってもみなかった。

昨年10月、スイスを訪れた時、朝食に招かれた。パンにたっぷりのバターと手作りのいちごジャム、カフェオレで、もてなしてくれた。私がシリアやイラクからの難民を取材していることを話すと、「テレビで難民の姿を見るたびに、どれほどつらい思いでいるのか想像できる」と言った。

その時、幼い頃の記憶を話してくれた。戦時中、スイス国境にあった難民収容所で、ナチスに占領されたフランスから逃れてきた男たちをたくさん目にした。皆、やせ細り、ぼろぼろの服で、疲れ切った顔だったという。「いま、戦争を知らない政治家たちが、好き勝手なことを言っている」と憤っていたのが忘れられない。

亡くなる前日、シャンタールさんの50代のおいからメールが入った。「彼女は明日の午前11時に人生を終えることを決めました」。病気の苦痛に耐えられないゆえの選択とあった。

写真が添えられていた。きれいに整えた銀色の髪。ピンクのパジャマに若草色のカーディガンをまとい、パールのネックレスに、赤のマニキュアを塗っていた。その穏やかな表情が、私にはつらかった。

すぐ、おいに電話をすると「10時に最後のお別れをします。伝えたいことはありますか?」と聞かれた。言葉が見つからない私は、「あなたのことを忘れません」と言うのがやっとだった。

次の日の夜、再び連絡が入った。安楽死が行われる部屋に親族が集まり、彼女はひとりひとりと言葉をかわし、みんな涙を流したという。シャンタールさんは若い頃に離婚し、ひとり息子も病死したため独り身だった。最後は彼女の姉妹が看取った。スイスでは点滴注射と薬物シロップによる方法があるが、彼女がどれを選択したかは教えてもらえなかった。ただ、亡くなるまでは数分だったそうだ。
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