
闇市場で子供が地べたに落ちた麺くずを拾っている。「苦難の行軍」期の1998年10月江原道元山(ウォンサン)市にて撮影アン・チョル(アジアプレス)
「ヒョンニム(兄貴)よー、やっぱりよー、重要なのは北朝鮮の民衆をいかに早く覚醒させるかってことだよなっ!なっ!」
「わかった、わかった……」
「だからー、民衆を覚醒させるためには……」
また、ろれつが回っていない。日本にいる私に国際電話だということも気にせず同じ話を繰り返すのも、またいつものことだ。
「わかったってば。飲みすぎだぞ。シラフのときに話そうな」
ようやくのことで電話を切る。やれやれ、と思う反面、声が聞けたことで無事が確認できてよかった。私は胸を撫で下ろした。
受話器の向こうは北朝鮮に程近い中国吉林省の延吉市。電話の声の主はパク・ドンミョン(仮名・30代)、1997年から付き合いが始まった北朝鮮難民だ。
◆異色のインテリ難民との出会い
1997年7月、吉林省のある山村に北朝鮮難民が数人潜んでいるという情報を聞きつけた私は、村を訪ねて接触を試みることにした。飢餓の規模と原因を検証するためには、1人でも多くの北朝鮮人に会って取材する必要があったからだ。
村では2人の北朝鮮男性が取材に応じてビデオカメラの前に座り、3時間ほどインタビューに付き合ってくれた。2人とも数週間前に北朝鮮から出て来たばかりで、顔色は浅黒く、気の毒なぐらいヒョロリと痩せている。そのうちの1人がドンミョンで、もう1人は名前をアン•チョル(仮名・30代)といった。
ドンミョンとアン・チョルは北朝鮮の平安北道からやって来たばかりだった。単に「やって来た」というと語弊があるかもしれない。未曾有の大飢饉の中で2人とも肉親を失い、食べ物を求めて命からがら這うようにして中国に脱出して来たからだ。親切な中国朝鮮族に山村での畑仕事を紹介してもらい、山小屋に隠れ潜んでいたのだった。