
闇市場の露天食堂でビニール袋にソバの残り汁を乞う少年。1999年夏、咸鏡北道茂山(ムサン)郡にてキム・ホン撮影(アジアプレス)
◆「アパートで酒だけ飲んで暮らすのか?」
12月の半ばを過ぎると朝中国境一帯は摂氏マイナス25度まで冷え込み、3月中旬まで凍土となる。1997年も残すところわずかとなったある日のことだった。
深夜に取材が終わり、私は寒さに歯を食いしばってアパートに辿り着いた。部屋の中ではいつもなら布団の中でラジオを聴いているドンミョンが、ちゃぶ台の前であぐらをかき、『白酒』(パイチュー)と呼ばれる焼酎を飲んでいる。
「遅かったねヒョンニム。まあ1杯飲もうよ」
すでに目が据わっている。
「どうした?」
「ちょっと故郷を思い出してね」
珍しくしみじみした表情を見せたドンミョンと、その日は明け方近くまで痛飲した。ところがその日以来、ドンミョンは毎晩ぐでんぐでんになるまで飲むようになってしまった。勝手に酔っ払うならいいが、飲むとくだを巻いて私を寝かせてくれない。
日本への帰国の日が近づくにつれ、私は不安を感じるようになった。1人でアパートに置いておくと、酒を飲んで失敗をやらかし、公安に捕まることだってあり得るからだ。彼が酒を飲むのも、結局、毎日やることがないのと、先行きがまったく見えないからだろう。飢えからは解放されたとはいえ、ずっとアパートに閉じこもってばかりの生活は、ドンミョンにまた別の耐えがたいストレスを与えていたのだ。
ある晩、酔ってからむドンミョンに私はとうとう声を荒らげて、決断を促した。
「これからどうするんだ? このアパートで酒だけ飲んで暮らすのか? 働いて金貯めて北朝鮮に帰るか? 中国の内陸奥深くに行ってひっそり農業でもやるか? 協力はするけど、決めるのはドンミョン自身なんだよ」
ドンミョンはうつむいて押し黙ってしまった。そして「あー」と大きくため息をついてから言った。
「両親は死んだし、妻子は食べ物探しに出て行って行方不明だし、もう北朝鮮には帰る家もない。どうしたらいい、ヒョンニム?」
「勉強好きなんだから、これまで北朝鮮で体験してきたことを文章にまとめてみたらどうだ?飢餓の実情を世界に知らせるためにも値打ちがある仕事やな。原稿料も稼げるし」
とっさに口を突いて出た半ば思いつきだったが、我ながらいい考えだった。ドンミョンなら自分の体験を、北朝鮮社会の成り立ちや変化と対照させながら書けるだろう。原稿料をもらえれば経済的に自立もできる。
「……うん」
そのときはうつむいて小声で返事をしただけだった。が、翌日からドンミョンは一心不乱に、原稿用紙に自分の体験を刻み始めたのである。