東京・横網町公園の朝鮮人追悼碑(撮影:加藤直樹)

◆「朝鮮人暴動」を伝える流言記事が「証拠」

前回の記事(1月19日「日本版『否定と肯定』裁判で問われた南京事件」)で、歴史学者がホロコースト(ナチスドイツのユダヤ人虐殺)否定論者に訴えられたという実話に基づく法廷劇を描いたイギリス映画『否定と肯定』を紹介し、それを地で行くような裁判が、日本でも南京事件の生存者の証言をめぐって起きていたという話を書いた。

まともな歴史学の見地からは否定しようがない史実を史料の歪曲や曲解、果ては捏造によって否定しようとする試みを「歴史修正主義」と呼ぶ。歴史修正主義の内実がいかにデタラメでなものであるかを、私が身にしみて痛感したのは、自分の関心領域である関東大震災時の朝鮮人虐殺についての否定論について検証してみたときだった。

「朝鮮人虐殺などなかった」という主張は、2009年に出版された工藤美代子『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』(産経新聞出版)に始まる。14年には加藤康男『関東大震災「朝鮮人虐殺」はなかった!』(ワック)という本が出ているが、これは実は、工藤氏の夫である加藤氏が前者にわずかに加筆して自分の名前で出した“改訂版”である。加藤氏によればもともと妻との「共同執筆」だったそうなので、ここでは著者名を工藤夫妻とし、2冊を合わせて「この本」とする。

1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災の直後、「朝鮮人が暴動を起こした」という流言蜚語が広がる中、自警団や軍の部隊によって多くの朝鮮人が虐殺された。ほとんどの中学教科書にも記述されている事件だが、工藤夫妻はこの虐殺を「なかった」と主張する。夫妻の主張は、朝鮮人独立運動家たちが震災に乗じて暴動を起こしたのは流言ではなくて事実であり、自警団の行動はこれに対する正当防衛だった、その事実が忘れ去られたのは、当時の政府が隠ぺいを図ったから――というものだ。

この驚くべき新説を、彼らはどのように証明するのか。彼らが示す“証拠”は、震災直後の新聞記事の数々である。そこには確かに、「不逞鮮人二千が腕を組んで横行」「二百人の鮮人抜刀して警官隊と衝突」といった、朝鮮人の暴動を伝える見出しが並んでいる。だが、これらは震災直後の混乱の中で出回った虚報・誤報であり、流言研究、メディア研究の対象となってきたものだ。虐殺関連の史料集などにも収められている。実際、工藤夫妻もそうした史料集からこれらの記事を探してきている。

震災直後は、在京の新聞社のほとんどが壊滅し、「朝鮮人暴動」だけでなく「伊豆大島沈没」「富士山爆発」「名古屋も壊滅」といった誤報も氾濫している。混乱が落ち着いたころには、それが虚報・誤報であったことは自明となった。富士山爆発も朝鮮人2000人の大行進も、結局、誰もその目で見たわけではなかったのである。後にこの時期の虚報の氾濫を、著名な新聞記者の山根真治郎は、「数えるだにも苦悩を覚える」と回想している(『誤報とその責任』、1941年)。

ところが工藤夫妻は、これらの記事を無前提に“事実”と認定した上で論を進める。もし、“これらの記事はこれまで言われてきたような誤報ではなく、実は事実を伝えていたのだ”と言いたいのであれば、まずはそのことを何らかの形で論証すべきだと思うが、そんな手続きは皆無である。
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