自由シリア軍系組織のなかには、制圧した村の住民を手厚く保護しているとする映像を公開したが、人びとの多くは信用していないという。武装諸派に元ヌスラ戦線などにいた過激な戦闘員もいるため、彼らがいつ豹変するかもわからないと不安を抱いている。

その後、ラハマンさんとの連絡は途絶えたが、一家はアフリン市内に一時避難したと彼の親戚から聞いた。3月に入り、メダンキ村は占領された。現在、親戚の元に身を寄せる。失った家や畑はどうなるのか、今後どうするのか、ラハマンさんは悲嘆に暮れていた。

クルド組織・人民防衛隊(YPG)は多数の犠牲を出しながらもアフリンでの激しい攻防を続けてきた。 主婦バデーアさん(59)と携帯電話のメッセージでやりとりした。彼女はYPGに入った息子3人を失った。2人は2月下旬アフリンで、もう1人は昨年、シリア北部で過激派組織「イスラム国」(IS)との戦闘で戦死した。

戦闘員だったバデーアさんの四男レザンさん。2月下旬アフリンで戦死した。(親戚撮影)

トルコは今回の攻撃の理由を、YPGが自国にテロの脅威を与えているからだとする。だが、バデーアさんは言う。

「息子たちはテロリストなんかではありません。クルドの町や村を守るため、そして世界の脅威だったISと命を懸け戦い死んだのです。

米国をはじめ世界はIS掃討作戦で私たちを利用して、終わったら見殺しにした。こんなに悲しくて悔しいことはありません」

3月18日、アフリン中心部は自由シリア軍系諸派に制圧された。脱出した住民からの連絡によると、皆、車や小型トラックなどで、南部に位置するアレッポ市や、クルド人が多く暮らすコバニに通じる東部のマンビジ方面へ移動しようとしているという。

だが、道路は政府軍側によって封鎖されており、なかにはブローカーに40万シリアポンド(約9万円)を払って通過する例もあるという。避難民たちは水や食料不足に苦しんでいるが、支援は行き届いていない。

武装諸派がアフリン中心部に数キロまで迫り、大量の住民が南部に向けて脱出。(シリア北西部アフリン・キマル村付近 2018年3月15日住民撮影)

アフリンでの死傷者はすでに1000人を超えた。人びとは悲しみと恐怖のなか、故郷を捨てざるを得ない状況に追い込まれている。

(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2018年3 月20 日付記事に加筆修正したものです)


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