『ゴジラ』における公聴会のシーンで、事実の公表を控えるべきだとする主張に敢然と反論するのが女性議員であったことは非常に興味深い。周知のように、戦前の日本では女性に参政権は認められていなかった。戦後間もない45年9月、沖縄本島の収容所で行われた市議選が、初めて女性に参政権が認められた選挙であった。そして同年10月、婦人参政権に関する閣議決定がなされた。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)のマッカーサーによる五大改革の指令に「参政権賦与による日本婦人の解放」が盛られていたからだ。

さらに、同年12月の改正衆議院議員選挙法公布により、女性の国政参加が認められる。そして、46年4月の戦後初の衆議院選挙の結果、日本初の女性議員39名が誕生したのであった。

47年5月に施行された日本国憲法でも、第14条で「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と両性の本質的平等がうたわれている。だが、47年4月に行われた衆院選では、女性議員は19名に激減し、その後は10名前後で推移して20059月の衆院選まで39名を超えることはなかった。

それでも『ゴジラ』が公開された当時、衆議院には9名、参議院には15名の女性議員がいた。映画の中で、小沢委員の言葉使いが「男性的」であることは気になるが、有権者の目線に立って情報公開を求める発言を女性議員がしている意味は大きい。相反する意見を、男性と対等に言い合うこの場面には、憲法が求める社会のあり方がにじみ出ていたと言えるだろう。

しかし、その後の日本社会は、残念ながら男尊女卑の風潮がぬぐえないまま今日に至っている。雇用の面で言えば、男女雇用機会均等法が制定されたのは1985年になってからだ。

それどころか、社会のいたる所で女性差別が多発している。安倍政権は「すべての女性が輝く社会づくり」をうたっているが、その政権内部の政治家や官僚によるセクハラや、女性蔑視の発言が相次いでいる。最近では、自民党の萩生田光一幹事長代行の「赤ちゃんはママがいいに決まっている」発言、あるいは新潟知事選挙における花角英世候補の応援弁士による「新潟県に女性の知事はいらない」発言は記憶に新しいだろう。

もちろん「差別」は女性差別だけではなく、「政治的、経済的又は社会的関係」における様々な差別が、今の日本ではまかり通っている。憲法の施行から71年が経った今もなお、第14条は守られていない。「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」と定めた第24条も、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定めた第25条も、だ。(新聞うずみ火編集委員 和歌山信愛女子短期大学教授 伊藤宏)

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