下関商との準決勝前に円陣を組む京都二中チーム。右から6人目が黒田さん(本人提供)

 

◆負けた悔しさより平和の喜び

戦後初の全国大会には京都二中を含め、19校が出場した。抽選から帰ってきた副部長が「えらいこっちゃ、(開幕戦の)1番を引いてきた」――

入場行進する京都二中の選手たちの胸には「KSMS(京都セカンド・ミドル・スクールの略)」の文字。帽子の下にOBから送られた石清水八幡のお守りを縫いこんだ白い鉢巻をしていた。

 「クロ、1番でいくえ」。試合前のベンチで監督から告げられた瞬間、黒田さんは「えー、そんな無茶な」と呟いたという。

 「京都大会では下位打線を打っていたからね。それに足もそない速くないし、みんなもびっくりしていたわ」

「絶対に振ったろ」と思って入った第1打席。緊張のあまり、1球目、2球目とも真ん中の直球に手が出なかった。2ストライクと追い込まれながらも四球を選ぶ。2打席目も四球。3打席目は「目をつぶって振り回し」左中間を抜く二塁打を放つなど、監督の期待に応えた。1‐0で成田中を退け、桐生工(群馬)を2‐1、鹿児島商(鹿児島)を6‐0、準決勝では下関商(山口)を5‐3で破り、決勝戦へ進出した。

相手は優勝候補の浪華商業(大阪)。関西勢同士の対戦とあって、大勢のファンが詰めかけた。スタンドには、兄を応援する黒田清さん(故人)の姿もあった。

浪商のエース平古場昭二さん(故人)はこの大会4試合で完投、62個の三振を奪っている。

「直球はむちゃくちゃ速く、ドロップは垂直に見えるぐらい落ちた。僕らの時代を代表する投手でした」という投手から、黒田さんは2安打放っている。

「試合後、負けた悔しさよりも、やり遂げた嬉しさの方が大きかった。平和で野球がやれたという喜び、スタンドの歓声の中でプレーできたという嬉しさは今も忘れられません」

黒田さんは翌年春には選抜大会に出場し、晴れて甲子園の土を踏んでいる。(上へ)

(終わり)

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