2013年夏に撮影された金正日氏の偉大性称える政治集会の様子。撮影アジアプレス

◆「正日氏に生き写し」が正恩氏のウリだったのに…

さる12月17日は金正日氏の7回目の命日だった。7年前、金正日氏の急死によって、否応なく20代で権力の座に就いた金正恩氏は、何の実績も権威もなく、政権運営のために祖父金日成、父金正日の威光にすがることになったのは必然であった。
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「(金正日)将軍様に生き写しであられる敬愛する金正恩同志」という宣伝文句が国営メディアに踊った。亡き金正日氏の偉大性が生前にも増して強調され、金正恩氏はその唯一の後継者であるという論理で、未熟な若者の権威づけが図られた。金正日氏の命日の12月17日は、ずっと政治的に重要なメモリアルデーだった。

ところが、今年の命日の行事は、住民が拍子抜けするほど簡素なものだったようだ。北部地域の大都市に住む取材協力者は、翌18日に次のように伝えてきた。

「17日朝に機関や職場ごとに金正日の銅像の前に集まって花束を捧げた。一般住民は人民班別に集合させられ、やはり銅像に参拝した。今年の追悼行事はこれだけ。拍子抜けした。平壌ではどうやったのか知らないが、こんなに簡素なのは初めてだ」
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