大場玲次 ビルマ潜入紀行
ヤンゴンの人から見ると、2200kmも離れた辺境で、こうやってチベットの踊りや歌を、VCDを通して覚えていることなど思いもよらないだろう。
2011年7月 6日 06:47
新たな時代の兆し(中) 多くの村人が利用するコッテージ(小屋)には、小屋を世話している守りもいる。僅かながら政府から給与が出るようだが、彼らは主に小屋を利用する旅人に薪を売って生活の糧にしている。 そ...
2011年6月 6日 14:51
夕暮れが近づいた。ジャンスーさんの家から裏山を臨む。 真っ白な雪山は銅褐色に遷ろう。その薄暗くなった裏の畑に黒い影が一つ動いている。
2011年4月 1日 06:30
軍政は2008年5月10日、14万人にも達する死者・行方不明者を出したサイクロン「ナルギス」の直後、国際的な呼びかけを無視して、新憲法の是非を問う国民投票を強行した。サイクロン被害者の救援を後回しにした、非人道的な行為であった。
2011年2月28日 04:23
ウー・テェットンが、私にだけ分かるように、愚痴にもとれる口調でこぼす。 「分かるかい? 彼らは贈り物を待ってるんだ。でもね、1つの村で、贈り物をしたことが隣の村に伝わると、それこそすぐに周りのほとんどの村に伝わるんだ
2011年1月28日 03:02
ミャンマー(ビルマ)の日刊英字紙ニュー・ライト・オブ・ミャンマー(ミャンマーの新しい灯)が1月24日付けで、お笑い芸人、間寛平さん(61)が、約2年かけてマラソンとヨットで地球を一周した「アースマラソン」の記事を掲載した。
2011年1月27日 14:13
タフンダン村から南へ2つめに位置するタストゥー村でのことも忘れられない。この村には、尾崎さんとアンセーさんがカカボラジに初登頂を果たしたときにポーターとして働いた人が多くいる。ある男性は、ポーター1人が担ぐ(約21kg)4人分を、1人で担いで山を登ったそうだ。
2010年12月28日 03:19
プータオを出発する前、当初の計画では荷物を持ってもらうポーターを6人手配していた。だが、荷物の多さから、結局、1人増やして7人になった。私自身も、もちろん身の回りの荷物を持たなければならない。
2010年11月23日 11:26
私が歩いたプータオ以北のラワン人地域の村は、英国による植民地政策の名残のため、キリスト教を信じるところがほとんどであった。そう、今でこそカチン州の北部は観光資源が豊富で、一般の外国人にもその地を開放しようという空気が出始めている。
2010年11月 9日 21:51
チベットといえば、私が単純に頭に思い浮かべるのは、チベット仏教である。その教えの詳細は承知しないが、ビルマ仏教そのものである南方上座部仏教とは異なるということくらいは分かる。
2010年10月17日 02:29
これは私の想像だが、1968年前後の国境確定の際、ビルマ側はそこにチベット人が住んでいることを隠したまま国境を決める手続きを進めたのではないか、ということである。
2010年9月 9日 21:21
私がここで、各民族のことをくどいほど書き連ねているのは、どの記述がより正確で信頼できるか、ということを言いたいのではない。こういう記述の変遷から考えられるのは、ある時代によって、その時々の政治勢力や時代の流れによって、物事の記述が変わる...
2010年8月26日 00:11
ではいったい、いつ頃からタフンダンとその周辺にチベット人が住み始めたのだろうか。それには2つの説がある。「タフンダン村の住人はすべてチベット族だ。彼らはおよそ200年前にチベットから移り住んだのだという。ヤンゴンではこの人たちのことをダルン族と呼び、チベット族とは呼びたがらない。
2010年8月 4日 23:27
カチン州内の「少数派民族」を調べていくと、「カチン」とはビルマ語による他称で、自称ではそのカチンは、さらに細かく分かれている。その最大多数はジンポー族で、その他カヨー・ダラウン・ゴーリー・カク・ドゥイン・マル・ラワン・ラシ・アズィ・リスなどの10を超える「少数派の少数民族」がいる。
2010年7月16日 00:24
私たちを迎えてくれたジャウスーさんは46歳。身長177㎝の私にも負けず劣らずがっしりとした体格だ。握手をした手は、やはり、ごつい。しかも、ここでも握手をする習慣があるんだな。
2010年7月 8日 05:36
カチン州北部のプータオを出て18日目、ようやく最北の村タフンダンに到着する。ちなみにプータオは、民間の飛行機が離発着できるビルマで最も北の町でもある。標高402mの山間地で、人口は1万人にも満たない。
2010年7月 1日 06:15
ビルマ(ミャンマー)では、今秋20年ぶりに総選挙が予定されている。2007年秋の民主化要求デモを軍靴で踏みにじった軍事政権は、しばらく外国人の入国を厳しく制限していたが、選挙が近づくに伴い観光や商用の入国を認めるようになった。5月、ヤンゴンに入り現状を取材した。
2010年6月18日 18:48
やっと休憩となる。1日に歩く距離はあらかじめ決まっていない。乾季だというのに冷たい雨が降り続き、険しい渓谷を何度も上り下りする日には、10kmほどしか歩くことができない。 足元が確かで、平らな山道が続くときは20kmくらいは進む
2010年4月 9日 13:52
例えば今回、山歩きをしながら、村から村へと訪ね歩いていた。確かにしんどいことである。 苦行とも感じる山歩きで、ハアハアと詰まるような息づかいが続き、肺の表面は締め付けるように痛み始まる。ぬかるみに足をとられ続け、膝はガクガクと震える。休憩で立ち止まっても、惰性で足の震えは止まらない。足の裏は、蜘蛛の巣のような形でヒビ割れ、ヒリヒリと激痛が走った。
2010年3月15日 04:53
「ティベタン」 そう呼ぶが、いったいそれは何を意味しているのだ。 最初、その単語を聞いたとき...
2010年2月28日 17:53
私の横に黙って座っていた10歳くらいの男の子が、唇をわずかに開き、ヒュールル・ルー、ヒュウ、ヒュールル・ルー、ヒュウとリズムに乗った口笛を奏でる。時おり、そのかすかでひかえめな音に、何やら言葉が混じっているようだ。何気なくその調べを聞いていた私は、そこでようやく...
2010年2月18日 01:49
数年前、ビルマでの滞在を延ばすために当局に出向いた。あっさりとビザ延長ができた...
2008年12月11日 02:53
2008年の元日をビルマで迎えた。 もっともビルマの新年は4月なので1月1日は特別な日ではない。 この日は、前日の12月31日と同じく、ラングーン(ヤンゴン)の町は、役所も商店も開いているし、普段の日と全く変わりがない。
2008年11月25日 21:58
大規模デモ後のビルマ(下) 【マンダレーからディペインに向かう。目的地の近くで道を聞いていたら、軍の公安関係者が5分で飛んできた。後ろに立つのは通報者の村人】 昨年起こったデモの特色は、ビルマ国軍と武...
2008年8月 1日 18:50
2007年9月末、ラングーンで広がった僧侶の行進を取材しようとしていた現地のビルマ人記者の動きは、完全に当局によって抑え込まれた。 25人ほどいる外国の報道機関に所属している現地通信員のうち...
2008年7月10日 02:03
【写真:僧侶のデモの中心地となったシュエダゴン・パゴダ(東入口)。デモ終結から10日経つが、参拝する人の姿は戻ってきておらず閑散とした風景であった。(2007年10月撮影)】 ラングーンの中心部スー...
2008年7月 1日 18:44
ビルマ潜入紀行~惨劇の前兆(中) 【写真:ラングーンで起こったデモがマンダレーに来るのを期待していたウー・パパレー氏(2007年8月末撮影)】 その日の午後、友人と連れだって「ヒゲ兄弟」として有名な喜...
2008年6月25日 18:37
ビルマ(ミャンマー)第2の都市マンダレーの喫茶店で2007年8月末、4ヶ月ぶりに友人と再会する。 ちょうどその前の週、マンダレーから南へ約690kmの旧首都ラングーン(ヤンゴン)では、突然の燃料費の値上げをきっかけに抗議デモが...
2008年6月19日 16:58
多様な民族のすがた(下)
さて、ビルマにはいくつぐらいの民族が存在しているのだろうか。 ビルマ軍事政権によるとその数は135にも及ぶという。 軍事政権がその力の支配をゆるめないのは、「これほど多くの民族をまとめ上げるのは今のところ...
2008年6月11日 13:40
多様な民族のすがた(上)
2007年8月半ば、ビルマ(ミャンマー)の行政区の最小の地域であるカヤー州(カレンニー州)に足を踏み入れた。 それによって、現在のビルマ行政区分である7州7管区の全てを訪れた。 ちなみに、「州」は主にビルマを取り巻く・・・
2008年6月 9日 11:38
メディアとジャーナリズム
Yahoo!ブックマークに登録する はてなブックマーク Buzzurlに登録する Google Bookmarksに登録する ニフティクリップに登録する newsingに登録する
[PR]
APN会員募集中