リ・ハナ 一覧

...生まれて初めて見る海はきれいでした。一瞬時なりとも安心することができない潜伏生活で、心身ともに疲れきってしまった私には、海辺を歩きながら味わうわずかな安らぎが、夢のような時間でした。依然隠れて暮らす境遇には違いないけれど、新天地でまた違う形で生きていけるかもという希望も湧いてきました...
2012年2月 3日 12:06
...おどおどして間抜けに見える私が、格好の対象に見えたのでしょう。とても優しい声で話かけてきて、夜の店などで働かないかと誘ってくる人もいました。あるときは、韓国人社長や課長が暮らすアパートで、ご飯や掃除をする仕事だといわれて行ってみると、社長が一人で住んでいると知って、その場で帰ってきました...
2012年1月31日 13:54
今私にとって一番の悩みの種は、就職活動です。2年生のときに病気で全然単位が取れなかったので...
2012年1月30日 11:04
...一人で仕事をみつけないといけない重圧感...。言葉を失っているかのように暮らしていたせいか、なかなか声が出ないし、どういう風に話をするのかすら忘れた感じでした。のどの奥につっかえている言葉を口に出したかったのですが、どうしてもできなくて、私は断念して外に出ました...
2012年1月26日 20:49
...以前のように、いい仕事をみつけるために交渉の繰り返しなわけです。イモはすぐにまた次の仕事先をみつけました。私もまたイモについて行きました。その後も、イモについてあちこちの店を渡り歩く生活が続きました...
2012年1月24日 11:10
翌日から、一日13~14時間の重労働が始まりました。厨房の掃除や洗い物に加え、寒い日にもよく売れる冷麺を洗う仕事も任されました。シンクに水を張って、氷をいっぱい入れては、茹で上がった麺を素早く洗い絞って器に盛るのです。そんな仕事を数日間続けたら、手足はパンパンに腫れあがり、体が鉛のように重くなりました...
2012年1月19日 13:39
...中国は決して「地上の楽園」ではないということ、私は他国に逃げてきた亡命者に過ぎないこと、ここ中国では、私は生きていても死んだのと同然であること、ここで捕まったりでもすれば、容赦なく北送(北朝鮮に送り返)され、家畜同然に扱われること、これからずっと警察や他人の目を避けて、陰で死んだように暮らさなければならないこと、夢や勉強、やりたいことどころか、皿洗いの仕事でもあることに感謝しながら、その日その日を延命するしかないということ...
2012年1月17日 09:17
私、本当にひどいことを書いていますね...読み返してみて、自分でもびっくりしました...
2012年1月14日 22:00
最初にイモについて仕事を探しに行ったときのことは、いまも忘れることができません。それは私にとって、生まれて初めての「職探し」の経験だったのです。私も大人たちと同じように、生活前線(日々の糧を得るための現場、といったらいいでしょうか)に立ったのです。西塔の大通りにずらりと並んだ百貨店や料理屋、カラオケ...
2012年1月14日 11:58
...生きていくためにも仕事をみつけることが、私たちの早急の課題でした。瓦礫の中でともに暮らす、貧しくも優しい住民たちの助けもあって、弟は小さな製造系の工場に、母と私は食堂にと住み込みの仕事を見つけて出て行くことになりました...
2012年1月11日 10:23
  ...瀋陽にある東西南北の塔の一つである西塔の周辺には、コリアタウンのようなところがあり、韓国人や朝鮮族の人たちがたくさんいました。私たちは、その西塔の近くで、安い料金で家を借りたのです。その家は、新しい建物を建てるために元の建物を解体した跡地にありました...
2012年1月 9日 10:00
卒業に向けての単位取得や就職活動以外にも、やりたいことはいろいろあります。が...
2012年1月 7日 01:02
...これからどんなことが起きるのか、私たちはどうしたらいいのか、全く予測もつかない中で私たちの唯一の拠りどころは、私たちを川辺のダムからここまで連れてきてくれた通訳の男性でした。その方が信用できる人なのかどうかなど気にしていられない私たちは、藁にもすがる気持ちだったのです...
2012年1月 6日 09:29
2012年1月 1日 07:20
...私はもうダメだと思いました。胸の下まで泥濘にはまり込み、もう動きようがなく、自由なのは両腕だけでした。息をするのがつらくなって、このまま頭まで沈み込んでいくことを想像すると、悔しくて涙が出ました。中国がもうすぐそこなのに!...
2011年12月29日 12:43
...「とにかくあの明かりに向かって走るのよ。あと30分もすれば、満ち潮で水かさが増してくる。そうなると、間違いなく溺死だ。とにかく走れ!」母の言葉を合図に私たちは走り始めました。凍りかけの泥に足が沈み、まともには走れず、とにかく必死に、必死に走りました...
2011年12月27日 16:11
一つ思ったことは、金正日の突然の死によって、北朝鮮で大混乱が起こるのではという心配でした。もし本当に列車の中での急死なら...
2011年12月23日 21:51
金正日総書記が死亡しました!!!北朝鮮の最高権力者として、国をめちゃくちゃにし、国民を苦しめたあの金正日総書記が亡くなったそうです...
2011年12月21日 18:16
...すぐそこで、銃を持った警備隊員が一定距離を一定間隔で行ったり来たりしながら、警備を行っているのです。弟が、警備隊員が一番遠くに離れる時間を計りながら、前を注視していました。そして母は私の耳元で、これからの行動計画を説明してくれました...
2011年12月21日 13:26
...「今日私たちがやろうとしていることは、本当に危険なことなの。私たちはいま生きるか死ぬかの瀬戸際に立っているの。でも、きっとうまくいくから。だから希望を持って進もう。私たち、絶対にここを乗り越えて、3人とも生きて会おう!」...
2011年12月19日 09:18
「死ぬかな...、生き残るかな...、もしや捕まる?...、いや、それはない。捕まるならいっそのこと死んでしまおう!」。18年間の思い出が走馬灯のように頭の中を駆け巡りました。嬉しかったこと、悲しかったこと、つらかったことが、まるで映画のフィルムのように再生され、すごく重くて尖がったものでゆっくりと胸を押さえつけられるような痛みが走りました...
2011年12月15日 11:29
...母が一番前、次に大きなリュックを背負った弟、そして私が一番後で歩いていました。突然、母が立ち止まり、辺りを見回した後、右手にある細い道(道というよりは、人が通ったことで葦が踏み倒されてできた獣道ならず「人道」)に入って行きました...
2011年12月10日 20:55
真冬並みに寒い11月末のある日、母と弟、そして私は、ある島へ行く船に乗っていました。新義州よりも中国に近い国境地帯―X島に行くためです(方向音痴である私は、新義州と中国の某市間にある島というくらいしか分かりません)。中国商人の船と取引(おそらく密輸)が行われるところで、実際に武装した警備隊がたくさんいるそうです...
2011年12月 7日 15:36
その漫画は南朝鮮のことを、不正や腐敗が横行する国、富益富・貧益貧(金持ちは益々金持ちに、貧乏人は益々貧乏人になるという意味)が深刻な国だと批判していました ・・・
2011年12月 6日 23:50
...当時、新義州市から中国へ脱出する人はほとんどいませんでした。新義州と向かい側の中国丹東市の間には鴨緑江下流が流れていて、船がないと渡れないほど川幅が広く、警備も大変厳しかったのです。物理的に難しい部分もあって、そういう発想がなかったのかもしれません...
2011年12月 3日 12:09
...「もう希望はない」と、母は、私と弟に言いました。私たちに残された道は、戸籍が移された辺鄙な農村に行って、死ぬまで延命するだけだと言うのです。頭の中が真っ白になりました。農村に行くことが嫌というより、私自身には何の罪もないのに処罰を受けなければならないということが、悔しく...
2011年11月30日 11:20
無国籍だった頃は、とにかく「国籍がない」状態から脱したくて国籍を取得したかったのです...
2011年11月28日 23:50
どれくらい時間が経ったのでしょうか...気がつくと、私は病院の一室に横たわっていました。あたりを見回すと、母があきれた顔で座っていました。私は意識を失った直後にすぐに病院に運ばれ、胃洗浄も行われたと聞かされました...
2011年11月28日 09:19
...もしこれで起きられなかったら、私はあの世にいるのだと思いながら、17年間の人生を振り返っていました。この世での最後と思うと感極まって、布団の中で大粒の涙をぼろぼろ流しながら、自分でもよくわからない誰かを恨みました...
2011年11月25日 10:02
私が知りたいのは、海外に住んでいる韓国籍の人が住民登録番号を持っていない場合、それを取得する方法なんです...
2011年11月25日 09:25
メディアとジャーナリズム
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リ・ハナの一歩一歩

リ・ハナ
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リ・ハナ (리하나)
1980年代半ば、北朝鮮北西部の都市で生まれる。両親は日本からの「帰国事業」で北朝鮮に渡った在日朝鮮人2世。中国に脱出後、2005年、日本にやってくる。
アルバイトをしながら夜間中学校に通い、日本語を勉強。その後、就職して仕事をしながら日本語能力試験と高校卒業認定試験に合格。2009年、関西圏のある大学に入学し、現在、通学中。

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【会員版 新連載】 私、北朝鮮から来ました>>> 連載第1回